はてさて、こまったことになったわい。オナラというものは万人におかしがられるばかりで人を泣かせるものではないように思っていたが、因果なことになった。しかし娘の身になれば無理もない」
 花子には悲しい思いをさせたくないから、お奈良さまも意を決し、放課の時刻を見はからい、学校の門前で校門を出てくる糸子を呼びとめて対話した。
「このたびは御尊家の葬儀を汚してまことに恐縮の至りでしたが、あれに限って娘には罪がないのでなにとぞ今まで通りつきあってやっていただきたいとお願いにまかりでましたが……」
「そのことはすでに花子さんに説明しておきましたが、申すまでもなく花子さんに罪はありません。しかし人間は一面感情の動物ですから、理論的にはどうあろうとも、感情的に堪えがたいことがあるものです。花子さんを見ただけであなたの不潔さが目にうかんで肌にアワを生じる思いです。絶交はやむをえないと思います」
「どういうことになったら絶交を許していただけるでしょうか」
「あなたが人格品性において僧侶たるにふさわしい高潔なものへの変貌を如実に示して下されば問題は自然に解決します」
「ところが、まことに申しづらいことですが、あの方のことは拙僧の生れながらの持病でしてな。人格品性のいかんにかかわらず、拙僧といたしてはこれをどうするということもできかねる次第で」
「それがあなたの卑劣さです。私たちには礼儀が必要です。自己の悪を抑え慎しむことが原則的に必要なのです。それを為しえない者は野蛮人です。あなたはオナラぐらいという考えかも知れませんが、文化人の考え方はオナラをはずかしいものとしているのです。オナラぐらいという考え方が特に許せないのです。一歩すすめて糞便でしたら、あなたも人前ではなさらないでしょう。あなたのオナラは軽犯罪法の解釈いかんによっては当然処罰さるべきことで、すくなくとも文化人の立場からでは犯罪者たるをまぬかれません。現今のダラクした世相に乗じ、たとえばストリップと同じように法の処罰をまぬかれているにすぎないのです。特に自らオナラサマと称してオナラを売り物にするなぞとは許しがたい低脳、厚顔無恥、ケダモノそのものです。いえ、ケダモノにも劣るものです。なぜならケダモノはオナラをしてもオナラを売り物にはしません。あなたは僧侶という厳粛な職務にありながら、死者や悲歎の遺族の目の前においてオナラを売り物にして……」
「すみませんことでした」
 とお奈良さまは急いで逃げた。というのは、自責の念にかられて聞くに堪えがたかったからではなくて、オナラが出かかってきたからであった。ここでオナラを発しては娘の絶交は永遠に解いてもらう見込みがないから、取り急いであやまると、そそくさと近所の路地へかけこんだ。引込み線の電柱にぶつかるようにすがりついて、たてつづけに用をたしたところ、不幸にもその電柱の下には小さな犬小屋があった。その犬小屋には小さくて臆病だが自宅の前でだけはメッポー勇み肌のテリヤの雑種が住んでいたから、思いがけない闖入者に慌てふためいて、お奈良さまの足にかみついたのである。法衣のスソがボロボロになり、お奈良さまは足に負傷した。必死に争っているところへ犬の主家の婦人が現れて犬を押えてくれて、
「おケガなさいましたか」
「いえ、身からでたサビで、拙僧がわるかったのです。路地をまちがえてとびこみましてな。ちょッと急いでいたもので、イヤハヤ、まことに失礼を」
 まるで自分が犬にかみついたように赤面してシドロモドロにあやまってこの路地からも逃げださなければならなかった。さしたる負傷ではなかったが、犬の咬傷は治りがおそく、また、かなりの鈍痛をともなうもので、その晩はちょッと発熱して悪夢にいくたびとなくうなされた。

          ★

 初七日から四十九日までのオツトメの日には代理の高徳をさしむけてホトケの冥福を祈ってもらったが、ホトケには特別の愛顧をうけ、またはしなくもその臨終に立ち会った因縁もあるしするから、代理まかせにしておくだけでは気持がすまなかった。さりとて人の集る法事の席へはでられないから、平日をえらび、糸子も学校へ行ったあとの午前中を見はからって、読経におもむいた。
「御愛顧の大恩もあり、また浅からぬ因縁もあるホトケの法要にオツトメにも参じませず心苦しくは存じておりましたが、重ねて不調法をはたらいてはと心痛いたしましてな。で、まア、本日はお人払いの上、心おきなく読経させていただきたいと存じまして参上いたしましたような次第で」
「お人払いとおッしゃいましても、ごらんのように隣り座敷には茶道のお稽古にお集りのお嬢さん方がおいでですし、唐紙を距てただけの隣室ですものねえ」
 仏壇は茶の間にある。こまったことには、その仏壇は隣り座敷に最も接近したところにあるから始末がわ
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