事をうながしていたお奈良さまは、ようやく異常に気がついた。脈をとってみると、ない。
「ヤ……」
彼は蒼ざめて思わず膝をたてたが、やがて腰を落して、顔色を失って沈みこんだ。声もでなかった。その一瞬に、彼は思ったのだ。自分が隠居を殺した、と。すくなくとも自分のオナラが隠居の死期を早めたと感じたのである。
ところが彼と向いあって、彼に代ってジイッと隠居の脈をしらべていた唐七は、その死を確認して静かに手を放し、手を合わせてホトケに一礼し、さて彼に向って、
「ヤ、ありがたいオナラによって隠居は大往生をとげました。大往生、大成仏。このように美しい臨終は見たことも聞いたこともない。これもみんなお奈良さまのオナラのおかげだ。ありがとうございました」
とマゴコロを顔にあらわしてニコニコと礼を云ったのである。
こういうわけでお奈良さまは意外にも面目をほどこし、お通夜や葬儀の席では口から口へその徳が語り伝えられて一発ごとにオナラが人々に歎賞されるような思いがけなく晴れがましい数日をすごすことができた。
ところが唐七の妻女ソメ子だけが甚しく不キゲンであった。彼女はPTAの副会長もしているし、お金にこまる身分ではないが茶道の教室をひらいて近所の娘たちに教えており、大そう礼儀をやかましく云う人である。かねて唐七が粗野なところがあるために見かねるような気持があったところへ、このたびオナラ成仏の功徳をたたえてみだりにハシャギすぎたフゼイがあるので堪りかねてしまった。隠居の葬式を境にして夫婦不仲になり、はげしい論戦が交されるにいたり、娘たちもソメ子について、唐七の旗色はわるかった。ために葬式が終ると春山家のお奈良さまに対する扱いは打って変って悪くなり、唐七は距てられてか姿を見せることが少くなった。そのあげくソメ子はお奈良さまにこう申し渡したのである。
「このたびの葬式では晴れがましくオナラを打ちあげて賑わして下さいまして、めでたく祝っていただきましたが、私はどういうものかお通夜や告別式はシミジミとした気分が好きなタチでしてね。初七日以後は私の流儀でシミジミとホトケをしのばせていただくことにいたしますから、読経の席ではオナラをつつしんで下さいませ。さもなければ他の坊さんに代っていただきますから」
手きびしくトドメをさした。しかし、言葉のトドメは彼の心臓を刺したけれども、例の戸締りにトドメのカンヌキをさすわけにいかなかった。そこで身にあまる歎賞の嵐のあとで、はからざる悲境に立つことになり、これが彼の命とりのガンとなった。
★
お奈良さまの末ッ子に花子という中学校二年生があった。ところが春山唐七の長女を糸子と云って、花子とは同級生である。
春山糸子は理論と弁論に長じ、討論会の花形として小学時代から高名があった。小学校では新学年を迎えるに当って受持教師に変動がある。そのとき「あの雄弁家のクラスは」と云って彼女が五年六年のころには各先生がその受持になることを避けたがる傾向があったほどである。母のソメ子にまさるウルサ型として怖れられていた。
中学校二年の糸子は押しも押されもしない言論界の猛者であった。学内の言論を牛耳るばかりでなく、町内婦人会や街頭に於ても発言することを好み、彼女の向うところ常に敵方に難色が見られた。
この糸子がソメ子にまさるお奈良さまギライであった。葬儀の直後、葬場から一室へ駈けこんで無念の涙にむせんだほどで、野人のかかる悪風は世を毒するものというような怒りにもえた。ソメ子の怒りも実は糸子にシゲキされた傾きがあったのである。
そもそも彼女には禁酒論や廃妾論などゝ並んで売僧亡国論とか宗教改革論などというものがすでにあったのだから、祖母の葬儀を汚したオナラへの怒りは大きかった。その時までは糸子と花子は親友というほどではないが仲のよい友達であった。葬儀の翌日登校した糸子は同級生の面前で花子へ絶交を云い渡したうえ、
「その父の罪によって子たるあなたへ絶交するのは理に合しないかも知れませんが、この場合、理ではなく、すすんで情をとることにしたのです。祖母の孫たるの情において、あなたの顔を見ることにすらも堪えがたい思いです。肌にアワを生じる思いです」
なぞと雄弁をふるった。そんなわけで花子は寺へ泣いて帰った。
お奈良さまもソメ子にトドメをさされて戻ってきたところであった。自分のトドメだけなら円熟した心境でなんとなく処理もできるところであったが、花子の悲哀は思わぬ伏兵であるから気がテンドーした。娘を慰める言葉もなく途方にくれていると、例の物だけはこの際でもむしろ時を得顔に高々と発してくる。四ツ五ツまるまるとした音のよいのがつづけさまに鳴りとどろいたから、花子はワッと泣き叫んで自室へ駈けこみ、よよと泣き伏してしまった。
「
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