ある。そこで私はかねがねむつつり酒をのむ習慣のおでん屋へとびこみ、そこの女将をつかまへて出鱈目な旅行談を喋りつづけたことがある。私の方が面白くないのはかねて予定のことであつたが、先方も面白くないらしく、相槌打つのに当惑してゐた。それ以来、意識的なお喋りをしたことはなかつた。
私は宇野さんが一言喋つたら十言喋り返してやらうと決意した。元来大概の用は手紙ですむ。会談を極度に避け、万事手紙で弁じようとする精神は、宇野浩二の誕生によつて完成したやうなものであるのに、わざ/\会見を申込んでくることが妖怪じみた不気味さである。私は用談ありの電話を受けると、それだけでもう圧倒されたやうなものであるから、一大決意を胸にかためて堂々と乗りこまないことには気持の収まりがつかないやうな状態でもあつた。
この前宇野さんに会つたのは私の出版記念会の席だつた。私と宇野さんはあいにく隣合せに並ぶ宿命となり、宇野さんは芥川龍之介の自殺のことを喋りとほしに喋りまくつた。自殺の原因が十ばかり心当りがあるといふのである。偏執の形で、不気味であつた。この時やつぱり宇野さんと話を交した河上徹太郎が、どうも宇野さんは又狂つたんぢやないかなと言ひだした。とにかく作家はたとひ狂つても小説だけ狂はなければ、狂つてゐないと言はなければならないだらう。ある意味で、狂はなければ、小説は書けない。
三
宇野さんの家へ行くと、例の格子窓から河向うの女のやうに女中が首をだして引込んだ。宇野さんは全身に白なまずができてゐる様子であつた。私の顔を見るやいなや、いきなり「実はね、ゆうべ電話をかけてからたいへん後悔したのですよ。牧野信一の自殺に就てあなたの感想をききたいと思つたのですが、然し電話をかけてから、急にしまつたと思つたのですよ。きいてはいけないと思つたのですな。この前に芥川の自殺のことを書かうとしたことがあるのですが、事実を知りすぎるために書くと死んでしまふですな。あなたもその傾向があるでせうが、どうもなんですな、私は事実を知らない方が却つて生き生きと書けるですな。それであなたの話を伺はない方がいいのではないかと、実はゆうべからたいへん迷ひだして……」
明らかに私の話をききたくない様子であつた。だいいち私を室内へ上げたくないと見え、玄関の上り框《かまち》へ座蒲団をもつてきた。その座蒲団へ腰をおろさ
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