やア、社へ行ってねエ、先生ンとこで三時間ネバって来たんだって威張るんだア、みんな同情してくれらア、アハハア、すまないなア、なーんてネエ。でも、先生、そんなのウソよウ。ねえ、先生。私の顔が見たいのよウ。わかってらア。ネーエ、セーンセ」
そんな話のうちは、まだ良かったが、ある日、いったん別れたあとで、追っかけてきて、
「先生、どちらへ、ゴ散歩ウ? 私も一しょに行きますわよウ。おイヤ? あらア、そんなことないでしょう。アラマ、エヘヘ、言ッチャッタワヨ、アハハ、バカネ、チェッ!」
マッカになってオデコをたたいたり、舌をだしたり、そんな忙しい合間に、私に、一段目、二段目、三段目ぐらいまでナガシメをくれる。
「私ね、先生、ちかごろ、小説かいてんのよウ。それが出来たら、遊びに行くわア。読んで下さるウ。私、ヘタよウ。でもネエ、ちょッとしたもんだわア。エヘヘ。おかしくないですかア。おかしいですかア。アラ、イヤだア、キャーッ」
小説書きというものは、はからざるところで、この脅迫におびやかされるものであるが、この時ばかりは、私も心胆がつめたくなってしまった。
「それ、私小説?」
と、私がきくと、とたんにマッカになって、身をくねらせて、
「あらア、先生、イヤだわア。あら、ワタシ、ハズカシイ。先生たら、私小説だなんて、あら、そんな、まア、ハズカシイ。あらア、セーンセ。イヤよウ。ヒドイことよウ」
大変な騒ぎで、こゝで又、四段目から、五段、六段目ぐらいまでナガシメをいたゞく。忙しい合間に、なるほど、ナガシメだけは、よく、うごく。
「なぜ、はずかしいの」
「だって、先生、あらア、先生、エロだわア。まア、先生、キャーッ。私小説だなんて、自分のこと、書かせるのウ、私にイ。あらア、キャーッ。あんなこと、書くなんて、まア、セーンセ、私にも書けって言うのウ、アンナコトウ、まア、エロだア、キャーッ」
マッカになって、身悶えて、声が秘密をさゝやくように低くなるかと思うと、にわかにキャーッと脳天から立ち昇り、行き交う人々が呆気にとられ、私をユーカイ犯人のように険しい目で睨むから、私も困ってしまって、
「ねエ、君、わかった。小説、できたら、持ってきて下さい。じゃア、さよなら」
「あらア、先生、ひどいわア。一しょに、お茶ぐらい、のみましょうよ。私と一しょじゃ、はずかしいのウ。あらア、誰も恋人だなんて、思わないわア。思わないでしょう。思いますかア。思うかしらア。思うかなア。イイやア。そんなことウ。チェッ。ナニさア。あらア。でも、先生、お若く見えるから、いくらか釣合うかなア。でも、先生、禿げてらッしゃるでしょう。変よウ。私、ハズカシイわア。キャーッ」
いきなり、私の腕に、とびついて、ぶらさがった。御本人も、ビックリして、ちょッと手をひッこめかけたが、思い直したらしく、私の袖をちぎれるぐらい掴んで、一しょに手をふって歩きはじめた。
「こんなこと、なんでもないのよウ。先生、ハズカシイのウ。間違っちゃ、ダメよウ。男の人ッて、ウヌボレルわネエ。すぐ、そんな風に思うらしいわ。思うわネエ。でも、イイさア、こんなことウ。ネエ、先生、私イ、探偵小説、かいてんのよウ」
私は羞しさに混乱して、お魚女史の言葉などは、もう、きこえなかった。私はマーケットへ散歩に行って本を買ってくるつもりであったが、とても人混みの方へは行けない。喫茶店へはいれば、何事を、どこまで喋りまくって、何事が起るか見当もつかない。人の居ない焼跡の方へ歩けば、益々小平三世ぐらいに見立てられるに極っている。万策つきて、
「アッ、そうだ、忘れ物をした」
と叫ぶと、お魚女史の手を払って、私は血相変えて、駈けだしていた。戦争中のバクダンのお見舞以来、こんなにイノチガケで走ったことはない。
その次に、路上で会ったとき、
「あらア。先生、先生たら、案外ウブだわねえ。あんなに、ハズカシがって、逃げだすなんて、そんなに、ハズカシイのウ。あらア。先生たら、マッカになったわよウ。あらマア、キャーッ」
御自分の方がマッカになって、身悶えて、又、私にナガシメをくれた。
★
お魚女史が二度目に私を訪ねてきたのは、春の嵐の夜であった。そのとき私の家には三人の来客があって、お酒をのんでいた。こんな嵐に人を訪ねてくるのは、多忙な記者でなければ、よっぽどヒマな怪人にきまっている。
一人は弁吉である。彼はお酒をのまない。元々ネジが狂っているから、お酒の必要がないのだろう。
あとの二人が一まわり大きな怪人で、だから、カラダも大きい。が甲羅をへて見た目は立派な紳士である。一人は凹井狭介という評論家で、一人は般若有効という小説家である。マルイのが凹井で、ヒョロ高いのが般若であった。曲者らしい大男が濛々と酒気をたてゝ大アグラを
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