ン、そうなんだ、キミはむしろ利巧なんだネ、キチガイに類することが、その証拠なんだヨ。美人だからなア。美人はすでにキチガイじゃないんだ。美はねエ、それ自身、正常それ自体ですよ、ねエ、そうなんだよ。ハハハ」
と、弁吉は悠々として、たじろがない。佐野龍代女史は動物園の玄関番の怪獣ぶりにムッとした様子であるが、チンピラがこの有様では、目ざす猛獣の習性が予測しがたくなったらしく、柄になく沈黙している。
女史は二十六だそうだ。弁吉がカブトをぬいだのは尤もで、こんなとゝのった美貌が地上にいくつと有るものじゃない。色の白さ、リンカクの正しさとあざやかなこと、彫刻と申すほかに仕方がない。着物もたしなみのある着附で、品がよく、うつむきがちに沈黙していると、いかにも、ゆかしく、つゝしみ深く見えるのである。そのくせ、いったん、口をひらくと、ガラリと一変して、頓狂で、騒々しい。
弁吉は、海のねエお魚みたいに喋るんだよ、と云ったが、ナルホドねエ、魚が喋ったら、やっぱりガラリと一変して、頓狂で、騒々しくなるのかも知れない。
お魚女史は猛獣の正体が判らないから、はじめは澄していたが、まもなくお酒が廻って、私が馬脚を現したから、安心して、喋りはじめた。
「私はねエ、ご近所へ引越してきたんですのよ。防空壕なんですのよ。それでもチャンと屋根があって、上下左右コンクリートで厚くぬりかためてあるでしょう。陸軍中佐のウチでしょう、セメントぐらい自由だったんでしょう、四畳半以上もあるでしょう、いゝものよう。遊びにいらしてネエ。私、オメカケなんですよウ。今は、その方がいゝわねえ。旦那は六十三なのよウ。年寄の方がいゝことよ。人間みたいじゃないでしょう。ドラムカンだのアキビンだの、そんなものと大して違いはないものなのよ。人間なんか、いやらしいわね、ねえ、先生。先生も、エロですかア。アラ、いやだア、キャーッ」
その防空壕なら、私もよく知っていた。この界隈随一の名題の壕で、戦争中は岡焼き連の悪評高く、バクダンに追いまくられていた私なども、フテエことをしやがると横目に睨んでいたものであった。
疲れきっていた私は、酔っ払って、先に寝床へもぐって眠ってしまったが、弁吉はお魚女史を送って、防空壕まで参観に赴いたそうだ。
すると、井戸が遠くって、拭掃除ができなかったのよウ、と云って、弁吉にバケツの水を運ばせて、コンクリートの上下四方ていねいに拭かせ、水を一滴こぼしても、コラ、なんてことするのよ、地上建築と違うよ。衛生が判らないの、マヌケモノ! と叱りつけ、それでも湯を沸して、お茶をついでくれて、
「ハイ、御苦労さま。あんたは一つでタクサンだ」
と、まずそうな大福をひとつ皿にのせてくれて、自分はヨーカンだのカノコだのと大きな菓子皿からとりだして食べている。
「ボクにもヨーカンおくれよ」
「ダメ」
と、冷めたく一言、自分がたべるだけ食べてしまうと、菓子器をかたづけて、
「ねえ、アンタ。アンタの社で、私をいくらで使ってくれる。タイクツなのよ。それにオコヅカイも、足りないのよウ」
「そうだなア。三千円ぐらいじゃないかネ」
「一カ月の給料よ」
「だからさ。それだって、高すぎるんだよ。だいたい、女の子が、三人で、男の一人の仕事もできないからねエ」
「ヘーン。アンタはいくら貰うの」
「六千円ぐらいだね」
「ナニ言ってんだい。アンポンタン。私はねエ、目があったら、私を見てごらん。エロ作家ぐらい、一目で悩殺しちゃうからネ。私のナガシメはネ、十幾通りも変化があるけれど、文士なんか二ツ目までゞタクサンだ。オマエサンはデクノボーさ。ゼンゼン、センスがありゃしない」
と、大変な見幕で怒りだしたそうであった。以上がお魚女史の第一回目の訪問のアラマシである。
★
第一回の登場ぶりが凄かったから、連日の来訪に悩まされることになるのかと怖れをなしたり、内々は待ちかねるところがあったりしていたが、一向に現れない。
三四度、道で会った。すると、アラア、先生、コンチハ、オハヨウ。アラ、イケネエ、シマッタ、などゝ、慌しく取りみだしながら、喋りまくるのは、第一に弁吉の悪口である。
弁吉は毎週三日ぐらいずつお魚女史を訪問しているのである。そのツイデに、稀に私を訪ねて女房とムダ話をして行くのだが、そんなことはオクビにも出さない。
「弁吉はアツカマシイのよ。ヨーカンおくれよウ。カステラくれろよウ。旦那が来てる時でも、平気なんですよウ。オタノシミだねえ、ハハハア、なんて、ニヤニヤ三時間も腰を上げないんですよウ。あんな子、イヤだわねエ。オ弁当もって来て、ウチでオヒルたべて行くのよウ。先生のウチへ原稿をサイソクに来ていることになってんだけど、行ったってムダだからネエ、こゝに遊んでる方がノンキでいゝ
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