る落伍者となつていつの日か歴史の中によみがへるであらうと、キザなことを彫つてきた。もとより小学生の私は大将だの大臣だの飛行家になるつもりであつたが、いつごろから落伍者に志望を変へたのであつたか。家庭でも、隣近所、学校でも憎まれ者の私は、いつか傲然と世を白眼視するやうになつてゐた。もつとも私は稀代のオッチョコチョイであるから、当時流行の思潮の一つにそんなものが有つたのかも知れない。
然し、少年時代の夢のやうな落伍者、それからルノルマンのリリックな落伍者、それらの雰囲気的な落伍者と、私が現実に落ちこんだ落伍者とは違つてゐた。
私の身辺にリリスムはまつたくなかつた。私の浪費精神を夢想家の甘さだと思ふのは当らない。貧乏を深刻がつたり、しかめつ面をして厳しい生き方だなどゝいふ方が甘つたれてゐるのだと私は思ふ。貧乏を単に貧乏とみるなら、それに対処する方法はあるので、働いて金をもうければよい。単に食つて生きるためなら必ず方法はあるもので、第一、飯が食へないなどゝいふのは元来がだらしのないことで、深刻でもなければ厳粛でもなく、馬鹿々々しいことである。貧乏自体のだらしなさや馬鹿さ加減が分らなければ文
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