の最大の秘密はもしや私に梅毒がうつりはしないかといふこと、そのために私に嫌はれはしないかといふことだつた。そのために女は私とのあひゞきの始まりは常に硫黄泉へ行くことを主張した。私が淋病になつたことは、女の罪悪感を軽減したのだ。女はもはやその最大の秘密によつて私に怖れる必要はないと信じることができた。彼女はすゝんで淋病のうつることすら欲したのだつた。
 私はそのやうな心情をいぢらしいとは思はなかつた。いぢらしさとは、そのやうなことではない。むしろ卑劣だと私は思つた。私は差引計算や、バランスをとる心掛が好きではない。自分自身を潔く投げだして、それ自体の中に救ひの路をもとめる以外に正しさはないではないか。それはともかく私自身のたつた一つの確信だつた。その一つの確信だけはまだそのときも失はれずに残つてゐた。私の女の魂がともかく低俗なものであるのを、私は常に、砂を噛む思ひのやうに、噛みつゞけ、然し、私自身がそれ以上の何者でも有り得ぬ悲しさを更に虚しく噛みつゞけねばならなかつた。正義! 正義! 私の魂には正義がなかつた。正義とは何だ! 私にも分らん。正義、正義。私は蒲団をかぶつて、ひとすぢの涙をぬぐふ夜もあつた。
 私の女はいたはりの心の深い女であるから、よるべないアキの長々の滞在にも表面にさしたる不快も厭やがらせも見せなかつた。然し、その復讐は執拗だつた。アキの面前で私に特別たわむれた。アキは平然たるものだつた。苦笑すらもしなかつた。
 アキは毎日淋病の病院へ通つた。それから汽車に乗つて田舎の都市のダンスホールへ男を探しに行つた。男は却々《なかなか》見つからなかつた。夜更けにむなしく帰つてきて冷めたい寝床へもぐりこむ。病院の医者をダンスホールへ誘つたが、応じないので、病院通ひもやめてしまつた。医者にふられちやつたわ、とチャラ/\笑つた。その金属質な笑ひ方は爽やかだつたが、夜更にむなしく戻つてきて一人の寝床へもぐりこむ姿には、老婆のやうな薄汚い疲れがあつた。何一つ情慾をそゝる色気がなかつた。私はむしろ我が目を疑つた。一人の寝床へもぐりこむ女の姿というものは、こんなに色気のないものだろうか。蒲団を持ちあげて足からからだをもぐらして行く泥くさい女の姿に、私は思ひがけない人の子の宿命の哀れを感じた。
 アキの品物は一つ一つ失くなつた。私の女からいくらかづゝの金を借りてダンスホールへ行
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