どは考へることがなくなつたが、年齢と仕事の空虚を考へてそのころは血を吐くやうな悲しさがあつた。私はいつたいどこへ行くのだらう。この汽車の旅行は女が私を連れて行くが、私の魂の行く先は誰が連れて行くのだらうか。私の魂を私自身が握つてゐないことだけが分つた。これが本当の落伍者だ。生計的に落魄し、世間的に不問に附されてゐることは悲劇ではない。自分が自分の魂を握り得ぬこと、これほどの虚しさ馬鹿さ惨めさがある筈はない。女に連れられて行先の分らぬ汽車に乗つてゐる虚しさなどは、末の末、最高のものを持つか、何物も持たないか、なぜその貞節を失つたのか。然し私がこの女を「所有しなくなる」ことによつて、果してまことの貞節を取戻し得るかといふことになると、私はもはや全く自信を失つてゐた。私は何も見当がなかつた。私自身の魂に。そして魂の行く先に。
★
私は「形の堕落」を好まなかつた。それはたゞ薄汚いばかりで、本来つまらぬものであり、魂自体の淪落とつながるものではないと信じてゐたからであつた。
女の従妹にアキといふ女があつた。結婚して七八年にもなり良人がゐるが、喫茶店などで大学生を探して浮気をしてゐる女で、千人の男を知りたいと言つてをり、肉慾の快楽だけを生き甲斐にしてゐた。かういふ女は陳腐であり、私はその魂の低さを嫌つてゐた。一見綺麗な顔立で、痩せこけた、いかにも薄情さうな女で、いつでも遊びに応じる風情で、私の好色を刺戟しないことはなかつたが、私はかゝる陳腐な魂と同列になり下ることを好まなかつた。私が女に「遊ばう」と一言さゝやけばそれでよい。そしてその次に起ることはたゞ通俗な遊びだけで、遊びの陶酔を深めるための多少のたしなみも複雑さもない。たゞ安直な、投げだされた肉慾があるだけだつた。
さう信じてゐる私であつたが、私は駄目であつた。あるとき私の女が、離婚のことで帰郷して十日ほど居ないことがあり、アキが来て御飯こしらへてあげると云つて酒を飲むと、元より女はその考へのことであり、私は自分の好色を押へることができなかつた。
この女の対象はたゞ男の各々の生殖器で、それに対する好奇心が全部であつた。遊びの果に私が見出さねばならぬことは、私自身が私自身ではなく単なる生殖器であり、それはこの女と対する限り如何とも為しがたい現実の事実なのであつた。もしも私が単なる生殖器から高まる
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