けられていることも、警察に知らされていることも、とんと御存知なかった。
 コートランド・ストリートに着くと彼は、一軒の酒場に入って、ビールを一杯と葉巻受一本を小銭で支払った。それから、二杯目のビールを受け取って、釣銭なしの支払をすませた。そこで彼はそのビールを立のみしながら入口のドアーの方へ歩き出した。半分程も行った処で、丁度何かを思い出したように、もとの席に引き返した。
「あゝ、わしはニュー・ジャージーのわしの農場の雇人に支払う小銭を作ってくることを忘れた。もう銀行は閉っている。あんたんとこで、五十ドル札を小まかくしてくれんかね?」と、ニンゲルは主人に話しかけた。
 ニュー・ジャージーの農夫たちは、この土地のこの種の店にとっては上得意なので、主人は「札で四十ドル、銀貨で十ドルなら両替いたしましょう」と云いながら、バアーの上に十ドル札四枚を並べ、十ドルを銀貨でニンゲルに手渡たした。しかし、この時“能筆ジム”はニセ札使として全くまずいヘマ[#「ヘマ」に傍点]をやらかしてしまった。彼は両替の金を勘定しなかった。独逸人農夫の注意深さをよく知っている酒場の主人は、奇異に感じた。彼は、札をかき寄
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