先に荷車が置いてあるから、包んでくれなくともよいと云いながら、二十ドルのニセ札を女店員に手渡した。
 幸といおうか、不幸といおうか、その女店員がニセ札を受け取ったとき、彼女の指先はまだ濡れていた。彼女は“能筆ジム”に釣銭を渡したが、相手が店から姿を消してまもなくインクが自分の指先についていることに気づいた。一瞬このインクのしみが何からついたものかと戸惑った。そのとき彼女は、反射的に自分があつかった二十ドル紙幣を見つめていた。なるほどその札の通し番号は見事に書かれてはいるが、ほんの少しよごれているようだ。好奇心が首をもたげた。唇の上でもう一度指を濡らして、札の上のインクをこすってみた。まさに彼女の直感の通りであった。自分がニセ札をつかまされたことに気づいて、主人を呼び、事の次第を説明した。ウェリマンとその女店員は入口から飛び出してみたが、もうニンゲルの姿はなく、三番街にも荷車など勿論見あたらなかった。ニンゲルは見事消え失せたのだ。そのころ彼は、ニュー・ジャージー通いの渡船の着くコートランド・ストリート行の鉄道馬車に乗り込んでいた。しかし、彼のニセ札が見破られたことも、彼がニセ札使としてつ
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