ではこまるのだが)、その一枚をとって、ワクのなかに四十五度にはめられた透明な硝子《ガラス》の上の本物の札の上におくのである。このワクにはめられた硝子は太陽の光が明るく通るように、窓にくっつけておかれる。そこで彼は、本物からのスカシ画を利用して、先のシャープな鉛筆で着実にトレースをはじめるのだ。そうして表が出来上ると、それをひっくり返して、他の反面へトレースを続けてゆく。
大体、一どに半ダースから一ダースのニセ札を鉛筆でトレースし終ると、次にその鉛筆のトレースの上を、紙の乾くのを待って、インクでトレースしはじめる。どの位無駄を出したかは分らないが、恐らくわずかに違ない。彼のような細心なエキスパートになると、そう無茶苦茶に失敗を出すことはないものだ。彼は特にそのニセ札の肖像にいたっては、すばらしいものであった。また彼は、大蔵省印を描くについては細心の注意を払った。これがまずく描かれるとニセ札は直ぐ見破られるものだからである。拡大鏡で見れば直ぐ分るのだ。
ところで、彼の芸術家としての才能の生かされているのは、旋盤細工になっている札の裏面の場合である。機械仕掛の腐蝕製版のトレースを再生する
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