て、女房には充分金を与えて、不満のないようにしていた。その上彼は、月に一度位の割合で商用のためにニュウ・ヨークに出かけることにしていたが、彼が株の思惑でつくったと称する金を持帰って、ほくほくしているのを見ても女房は別に不思議とも思わなかった。寧ろ亭主はなか/\の腕きゝで、うまくやったものと考えてござったのである。
“能筆ジム”が十七年間もふんづかまらなかったのは、まったく秘密をまもったからであった。彼は、自分の仕事を誰れにも喋らなかったし、どんな場合にも扉を開け放っておかなかったように、大変な注意を払っていたようだ。ニンゲルのニセ札造りとしての成功は、実に彼の画家としての才能と、プロシャ人特有の万全を期する性格のおかげであった。彼はどんなにニセ札を造る必要に心のせくのを感じても、悠然とかまえて、その当時政府発行の紙幣に使用されている紙とほとんど同じ程度の厚さと強度を持ったものを選んだ。そうしてこの紙を当時の大型の札の大きさに正確に裁断して、それが終ると、この紙をコーヒーの薄い溶液のなかで処理して、年代をつけた。
その紙がまだ濡れている間に、(だからと云って滴《しず》くのたれているよう
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