ホならない。社会は罰しなければならない、と次に彼らは言う。――しかし、どちらもそうではない。復讐は個人のことであり、罰は神のことである。
社会は両者の中間にある。懲罰は社会より以上であり、復讐は社会より以下である。それほど偉大なこともそれほど微小なことも社会にはふさわしくない。社会は「復讐するために罰する」ことをしてはいけない。改善するために矯正する[#「改善するために矯正する」に傍点]ことをなすべきである。刑法学者の慣用の文句をそう変えれば、われわれも了解し同意する。
第三の最後の理由、実例論が残っている。すなわち、実例を見せてやらなければならないと。罪人がいかなる目にあうかを示して、同様な心をおこす人々を恐れさせなければならないと。――これが多少調子の差はあるけれど、フランスの五百の検事局の論告が千篇一律に用いるほとんどそのままの文句である。ところで、われわれは実例をまず否定する。刑罰を示して所期の効果を生ずるというのを否定する。刑罰を示すことは、民衆を訓育するどころか、民衆の道徳を頽廃させ、その感受性を滅ぼし、したがってその徳操を滅ぼす。例証はたくさんあって、いちいちあげてい
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