烽「てるうちは、私はほとんど自由な気楽な心地だった。しかしやがて私の決意はくじけてしまった。低い扉や、秘密の階段や、内部の通路や、奥よりこもった長い廊下などが、私の前に開かれた。処刑する者と処刑される者しかはいらない場所である。
 執達吏はやはり私についてきていた。司祭は私から離れて、二時間ほどしたらまたやってくることになっていた。彼は自分の用があるのだった。
 私は典獄の室に導かれて、執達吏から典獄の手にわたされた。それは一つの交換だった。典獄は執達吏にちょっと待ってくれるようにたのんで、引き渡すべき獲物[#「獲物」に傍点]が来るはずだから、それをすぐに帰りの馬車でビセートルへ連れていってもらいたいと言った。きっと今日の死刑囚で、すり切らすだけの時日が私にはなかったあの藁たばの上に今晩寝るはずの、その男のことにちがいない。
「承知しました。」と執達吏は典獄に言った。「しばらく待ちましょう。ごいっしょに二つの調書をこしらえるとしましょう。うまくいくでしょう。」
 そのあいだ、私は典獄の室のつぎの小さな室に入れられた。そこに厳重に閉めこまれて一人きりにされた。
 私は何のことを考えていたか、またどれくらいそこにいたか、自分でもわからないが、ふいに、激しい笑い声が耳に響いて、夢想からさめた。
 私はぞっとして目をあげた。室の中には私一人きりではなかった。一人の男が私と一緒にいた。五十歳ほどで、ふつうの背丈で、しわがより、背がかがみ、髪は白くなりかかり、ずんぐりした手足をし、灰色の目に斜視の目つきをし、顔に苦笑をうかべ、不潔で、ぼろをまとい、なかば裸体で、見るもいやなほどの男だった。
 私が気づかぬうちにいつのまにか、扉が開いて、その男を吐き出し、それからまた閉まったものらしい。もしも死がそういうふうにして来るものなら!
 私たちは数秒のあいだじっと見合った、男のほうは最期のあえぎに似たその笑いを長びかせながら、私のほうはなかば驚きなかば恐れて。
「誰です?」と私はついに言った。
「ばかなおたずねだな。」と彼は答えた。「あがったりだよ。」
「あがったり! 何です、それは?」
 その問いは彼をますます上機嫌にした。
「それはな、」と彼は大笑いをしながら叫んだ、「首切り人が六時間後にお前の切り株にじゃれるように、六週間後には俺のソルボンヌにじゃれるってことさ。――ははは、もうお前にもわかったらしいな。」
 実際私は顔色が変わり、髪の毛がさかだっていた。それはもう一人の受刑人、その日の死刑囚、私の後継者としてビセートルで待ち受けられている男だった。
 彼は言いつづけた。
「どうもね、身の上を話しゃあこういうわけさ。俺は立派な熊手〔泥棒〕の息子なんだ。ところが残念なことに、首切り人のやつご苦労にも、ある日親父にネクタイ〔絞首の縄〕を結んじゃった。ありがたくもねえ、首吊り柱の時代なんだ。六つの年に、俺にはもう親父も母親もなかった。夏には、路傍の埃のなかに逆立ちをして駅馬車の窓から一スー二スーを投げてもらった。冬には、はだしで泥のなかを歩いてさ、まっかになった手に息を吐きかけた。ズボンの破れからしりがのぞいてるしまつだ。九つになるとお手が役立ってきた。ときどき、懐中をひっこぬいたり、マントをくすねたりした。十の年には、立派な巾着切《きんちゃくき》りさ。それから知合いもできてきた。十七の頃には、立派などろちゃんだ。店を破り、錠をねじあける。とうとうつかまった。もうその年齢だったんで船こぎのほうにやらされちゃった。徒刑場ってつらいもんだぜ。板の上に寝るし、真水を飲み、黒パンを食い、何の役にも立たねえ鉄のたまを引きずる。棒はくらわせられるし、日には照りつけられる。それに頭は刈られてるんだ。俺は栗色のみごとな髪をしてたんだがな! だがまあいいさ……俺は刑期をつとめあげた。十五年、それだけふいになっちゃった。俺は三十二になってた。ある朝、一枚の旅行券と、六十六フランもらった。徒刑場で、日に十六時間、月に三十日、年に十二か月、十五年間働きづめでためた金だ。それはまあいいとして、俺はその六十六フランで正直な人間になろうとした。俺のぼろの下には、坊さんの上っ張りの下なんかより、ずっと立派な気持がひそんでいた。ところが旅行券のやつめ! 黄色なんだ、放免囚徒[#「放免囚徒」に傍点]と書きつけてあるんだ。そいつをどこに行くにも見せなけりゃならねえし、いなかにこっそりひそんでりゃあ、一週間ごとに役場に差し出さなきゃあならねえ。みごとな紹介だ、徒刑囚とさ! こわがらあね。子供は逃げるし、家の戸は閉められる。誰も仕事をくれる者はねえ。俺は六十六フランを食っちまった。それから、かせがなきゃあならなかった。俺は立派に働ける腕を見せたが、どこにも使ってくれねえ。日雇の代を十五ス
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