B」
「でも読んでごらん。さあ、お読みよ。」
彼女は紙を広げて、指で一字一字読みはじめた。
「は、ん、け、つ、はんけつ……」
私はそれを彼女の手からつかみ取った。彼女が読んできかせるのは私の死刑宣告文だった。女中がそれを一スーで買ったのだ。が、私にははるかに高価なものだった。
私がどういう気持を覚えたかは、言葉にはつくされない。私の激しい仕打ちに彼女はふるえていた。
ほとんど泣きだしかけていた。が、突然私に言った。
「紙を返してよ。ね、今のはうそね。」
私は彼女を女中にわたした。
「つれていってくれ。」
そして私は陰鬱なさびしい絶望的な気持で椅子に身をおとした。いまこそ彼らはやってきてもよい。私にはもう何の未練もない。私の心の最後の糸のひとすじも切れた。彼らがなさんとする事柄に私はちょうどふさわしい。
四四
司祭は善良な人だし、憲兵もそうである。子供をつれていってほしいと私が言ったとき、彼らは一滴の涙を流したようだった。
済《す》んだ。いまや私はしっかりと身を持さなければならない。死刑執行人のこと、護送馬車のこと、憲兵らのこと、橋の上の群集、河岸の上の群集、人家の窓の群集のこと、そこで落ちた人の頭が敷きつめてあるかもしれないあの痛ましいグレーヴの広場に、私のために特に備えられるもののこと、それをしっかりと考えなければならない。
そういうものに対して覚悟をきめるために、まだ一時間ほどあると私は思う。
四五
群集はみな笑うだろう、手をたたくだろう、喝采《かっさい》するだろう。しかも、喜んで死刑執行を見に駆けてくるそれらの自由なそして看守などを知らない人々のうちには、その広場にいっぱいになる群立った頭のうちには、私の頭の後を追っていつかは赤い籠のなかに転げ込むように運命づけられてる頭が、一つならずあるだろう。私のためにそこへ来てるがやがて自分のためにそこへ来るようになる者が、一人ならずあるだろう。
それらの宿命的な人々のために、グレーヴの広場のある地点に、一つの宿命的な場所が、人をひきつける一つの中心が、一つの罠《わな》がある。彼らはその周囲をまわりながらついに自らそこに陥ってゆくのだ。
四六
私の小さなマリーよ!――彼女は遊びにつれもどされた。いま彼女は辻馬車の扉口から群集を眺めていて、もうこのおじちゃま[#「おじちゃま」に傍点]のことは考えてもいない。
おそらく私は彼女のためにいくページか書くひまがまだあるだろう。他日彼女がそれを読んでくれて、そして十五年もたったら今日のために涙を流してくれるようにと!
そうだ、私は自分の身の上を自分で彼女に知らせなければならない。私から彼女へ残す名前がなぜ血ににじんでいるかを、彼女へ知らせなければならない。
四七
予が経歴
[#ここから2字下げ]
発行者曰――ここに該当する原稿を探したが、まだ見出せない。おそらく、次の記事が示すように、受刑人はそれを書くひまがなかったものらしい。彼が書こうと思いついた時は、もう遅かった。
[#ここで字下げ終わり]
四八
[#地から5字上げ]市庁の一室にて
市庁にて!――私はこうして市庁に来ている。呪うべき道程はなされた。広場はすぐそこにある。窓の下には嫌悪すべき人群が吠えている、私を待っている、笑っている。
私はいかに身を固くしても、いかに身をひきしめても、やはり気がくじけてしまった。群集の頭越しに、黒い三角刃を一端に具えてるあの二本の赤い柱が、河岸の街灯のあいだにつっ立っているのを見た時、私は気がくじけてしまった。私は最後の申立てをしたいと求めた。人々は私をここに置いて、検事か誰かを呼びに行った。私はそれが来るのを待っている。とにかくそれだけ猶予を得るわけだ。
これまでのことを述べておこう。
三時が鳴ってる時、時間だと私に知らせに人が来た。私は六時間前から、六週間前から、六か月も前から、他のことばかり考えていたかのように、ぞっと震えた。何だか意外なことのような感じがした。
彼らは私にいくつもの廊下を通らせ、いくつもの階段を降りさせた。彼らは私を一階の二つのくぐり戸のあいだに押し入れた。薄暗い狭い円天井の室で、雨と霧の日の弱い明るみだけがほのかにさしていた。室のまんなかに椅子が一つあった。彼らは私に座れと言った。私は座った。
扉のそばと壁にそって、司祭と憲兵らのほかになお、数人の者が立っていた。三人のあいつらもいた。
三人のうち最初のは、いちばん背が高く、いちばん年長で、あぶらぎって赤い顔をしていた。フロックを着て、変な形の三角帽をかぶっていた。そいつがそうだった。
そいつが死刑執行人、断頭台の給仕だった。他の二人はそいつに
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