V婆のあごの下に火をさしつけた。
 すると、彼女は両方の目を徐々に開き、私たち一同をかわるがわる眺めて、それからふいに身をかがめながら、氷のような息で蝋燭を吹き消した。と同時に、暗闇のなかで、私は三本の鋭い歯が手にかみつくのを感じた。
 私はふるえあがり冷たい汗にまみれて、目を覚ました。
 善良な教誨師が寝台のすそのほうに座って、祈祷書を読んでいた。
「私は長く眠りましたか。」と彼に私はたずねた。
「あなた、」と彼は言った、「一時間眠りましたよ。あなたの子供を連れてきてあります。隣りの室にいて、あなたを待っています。私はあなたを呼び起こしたくなかったのです。」
「おお!」と私は叫んだ、「娘、娘を連れてきてください。」

       四三

 彼女はいきいきとして、ばら色で、大きな目をもっていて、美しい!
 小さな長衣を着せられていたが、それがよく似合う。
 私は彼女をつかまえ、両腕に抱きあげ、膝の上に座らせ、髪に接吻した。
 なぜ母親と一緒には?――母は病気だし、祖母も病気だ。それでよい。
 彼女はびっくりした様子で私を見ていた。なでられ、抱きしめられ、やたらに接吻されながら、なされるままになっていた。けれどときどき、片隅で泣いてる女中のほうを、不安そうに見やった。
 ついに私は口がきけた。
「マリー、」と私は言った、「私のマリーや!」
 私はむせびなきのこみあげてくる胸に激しく彼女を抱きしめた。彼女は小さな声をたてた。
「おお、苦しい、おじちゃま。」と彼女は私に言った。
 おじちゃま[#「おじちゃま」に傍点]! かわいそうに、彼女はもうやがて一年間も私に逢わずにいる。彼女は私を、顔も言葉も声の調子も忘れたのだ。それにまた、このひげとこの服装とこの青ざめた顔色とで、誰が私をそれと見てとることができたろう。おお、そこにだけは生きながらえたいと思っていたその記憶のなかからも、私はもう消えてしまった。おお、もう父でもなくなった。子供の言葉のあの一語、おとなの言葉のなかに残ることができないほどやさしいあの一語、パパ[#「パパ」に傍点]というあの一語、それをももう聞かれないように私は定められてしまったのだ。
 それでも私は、なおも一度、ただ一度、その一語をあの口から聞くことができさえすれば、残り四十年の生涯を奪われようと不足には思わない。
「ねえ、マリー、」と私は彼女の小さな両手を一緒に自分の手のなかにはさんで言った、「お前は私をちっとも知らないのかい。」
 彼女はその美しい目で私を眺めて、そして答えた。
「ええそうよ。」
「よく見てごらん。」と私はくりかえした。「なんだって、私が誰だかわからないのかい。」
「ええ。」と彼女は言った。「おじちゃまよ。」
 ああ、世にただひとりの者だけを熱愛し、全心をかたむけてそれを愛し、それが自分の前にいて、むこうでもこちらを見また眺め、話したり答えたりしてるのに、こちらが誰であるか知らないとは! その者からだけ慰安を求めていて、死にかかってるので、その者を必要としてるのに、むこうはそれを知らない世にただひとりの者であろうとは!
「マリー、」と私はまた言った、「お前にはパパがあるの。」
「ええ。」と子供は言った。
「では、今どこにいるの。」
 彼女はびっくりした大きな目をあげた。
「ああおじちゃま知らないの。死んだのよ。」
 それから彼女は声をたてた。私は彼女をあやうく取り落とそうとしたのだった。
「死んだって!」と私は言っていた。「マリー、死んだとはどういうことか知ってるのかい。」
「ええ。」と彼女は答えた。「地の下にそして天にいるのよ。」
 彼女は自分でつづけて言った。
「あたし、ママのお膝で、朝と晩、パパのため神様にお祈りするの。」
 私は彼女の頬に接吻した。
「マリー、私にお前の祈りを言っておくれ。」
「だめよ、おじちゃま。お祈りって、昼間言うもんじゃないの。今晩おうちにいらっしゃい。言ってあげるわ。」
 それでもう十分だった。私は彼女の言葉をさえぎった。
「マリー、お前のパパは、私だよ。」
「え!」と彼女は言った。
 私は言いそえた。
「私がお前のパパでいいかい。」
 子供は顔をそむけた。
「いいえ、パパはずっときれいだったわ。」
 私は彼女に接吻と涙とをあびせた。彼女は私の腕からのがれようとしながら叫んだ。
「おひげが痛い。」
 そこで私はまた彼女を膝の上に座らせて、しきりに眺めて、それからたずねかけた。
「マリー、お前は字が読めるの。」
「ええ。」と彼女は答えた。「ちゃんと読めるわ。ママはあたしに字を読ませるの。」
「では、すこし読んでごらん。」と私は言いながら、彼女が小さな片手にもみくちゃにしている紙きれを指さした。
 彼女はそのかわいい頭をふった。
「ああ、おとぎばなしきり読めないの
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