スもののこと、一八二九年八月八日に王政自身がまっしぐらに駆け降りたあの急坂を、途中で立ちどまることの不可能だったこと、それまでわれわれがあまり考慮を払わずにいた、王家の者の勢力のこと、ことに、彼らのうちの一人が彼らの不幸のうえに緋《ひ》の衣のように広げかけていた威厳のことなどを。それでわれわれは、彼らの命が助かることを衷心《ちゅうしん》から希望する者であり、そのためには常に尽力を惜しまない者である。万一彼らの死刑台がグレーヴの刑場に立てられることであったとすれば、たとい空想にもせよわれわれは信じたいのであるが、たぶんその死刑台を転覆するために暴動が起こったであろう。そして今これを書いている著者はその神聖な暴動の仲間にはいっていたであろう。なぜかなれば、これもまた言っておかなければならないことであるが、すべて社会的危機においては、あらゆる死刑台のうちでも、政治的死刑台はもっとも呪うべきものであり、もっとも痛ましいものであり、もっとも有毒なものであり、もっとも根絶しなければならないものである。この種の断頭台は敷石のなかにも根をおろして、わずかの間にあらゆる地点に生え広がる。
革命の時には、切り落とされる最初の首に注意しなければいけない。それは首に対する貪欲心を民衆におこさせる。
それゆえわれわれは個人的には、四人の大臣に死刑を免れさしてやろうと欲する人々に賛成であり、感情的にも政治的にもあらゆる点で賛成であった。ただ、死刑の廃止を提議するのに議会が他の機会を選ぶことこそ、われわれのさらに好むところだった。
もしその望ましい廃止が、チュイルリーの宮殿からヴァンセンヌの牢獄へ落ちこんだ四人の大臣についてでなく、ある大道の強盗について、あるみじめな者について、提議されたのであったならば……。みじめな人々、街路で諸君のそばを通っても、諸君はそれにほとんど目もくれず、言葉をかけもせず、その埃まみれの肱を本能的に避けようとする。不幸な人々、幼年時代にはぼろを着て、四つ辻の泥のなかをはだしで駆けまわり、冬は河岸べりにうち震え、諸君が食事をしに行くヴェフールの家の料理場の風窓で身をあたため、あちこちで塵埃塚《ちり》のなかからパンの皮を掘り出し、それをふいてから食べ、終日|鉤《かぎ》で溝をかきまわしては一文二文を漁《あさ》り、楽しみとしてはただ、国王の祝日の無料の見世物と、もう一つ
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