ナ罰した。そして四人の不幸な男は、ヴァンセンヌのみごとなアーチ建築のなかに閉じこめられ、法律の捕虜となって、三色の帽章をつけた三百人の者に護られていた。どうしたらよいか。どういうふうにしたらよいか。われわれと同じような四人の男を、四人の上流の男[#「上流の男」に傍点]を、それと名ざすことさえはばかられる役人と背中合せにし、いやしい太縄で縛りあげ、荷車に乗せて、グレーヴの刑場に送ることは、どうも不可能なことではないか。マホガニーでできている断頭台でもあればまだしも!
 だから、死刑を廃止するだけのことだ。
 そこで、議会はその仕事にとりかかる。
 ところで代議士諸君よ、昨日まで諸君はこの死刑の廃止を、単に空想で理論で夢想で狂愚で詩だとしていた。がその荷車や太縄やまっかな恐ろしい機械に諸君の注意を呼ぼうとするのは、これがはじめてではない。そしてこの醜悪な器具がようやく突然諸君の眼につくというのは、ふしぎなことである。
 いや、そこに問題があるのだ。われわれが死刑を廃止しようとしたのは、それは民衆のためにではなく、われわれのため大臣ともなりうるわれわれ代議士たちのためにである。われわれはギヨタンの機械が上流階級をついばむのを欲しない。そこでわれわれはその機械を壊す。もしそのことが一般世人のためになれば仕合せというものだ。しかしわれわれが考えたのはわれわれだけのことである。隣りのユカレゴンの宮殿が燃えている。その火を消せ。いそいで、死刑執行人を廃し、縄を取り除こうではないか。
 そういうふうにして、利己主義の混和はもっとも美しい社会的結合を変質させ不自然になす。それは白大理石のなかの黒脈である。それが到るところに通っていて、鑿《のみ》の下に不意にたえず現われてくる。彫像は造りなおさなければならない。
 たしかに、ここに言明するにもおよばないことではあるが、われわれは四人の大臣の首を要求する者ではない。それらの不幸な人々がひとたび捕縛されるや、彼らの犯罪によって惹起された憤怒の念は、われわれにおいてもすべての人におけると同様に、深い憐憫の情に変わった。われわれは思いやった、彼らのうちのある者たちのかたよった教育のこと、一八〇四年の陰謀の熱狂的な頑固な再犯者であり、牢獄のしめっぽい影の下に早老の白髪となっている、彼らの首領の偏狭な頭脳のこと、彼らの共通な地位が宿命的に要求してい
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