においては、それらのものの中にこもっていた意義は皆まじめなものであったと言うべきである。すなわち社会の各要素が、平等の域にはいる前にまず、闘争の域にはいっていたのである。
なおこの時代のも一つの特徴は、政府主義(きちょうめんな一党派に対する乱暴な名前ではあるが)のうちに交じってる無政府主義であった。人々は不規律をもって秩序の味方をしていた。国民軍の某大佐の指揮の下に勝手な召集の太鼓はふいに鳴らされた。某大尉は自分一個の感激から戦いに向かった。某国民軍は「思いつき」で勝手な戦いをした。危急の瞬間に、「騒乱」のうちに、人々は指揮官の意見よりもむしろ多く自己の本能に従った。秩序を守る軍隊の中に、真の単独行動の兵士が数多あった、しかもファンニコのごとく剣による者もあれば、アンリ・フォンフレードのごとくペンによる者もあった。
一群の主義によってよりもむしろ一団の利益によって当時不幸にも代表されていた文明は、危険に陥っていた、あるいは陥っていると自ら信じていた。そして警戒の叫びを発していた。各人は自ら中心となり、勝手に文明をまもり助け庇《かば》っていた。だれも皆社会の救済をもっておのれの任務としていた。
熱誠のあまり時としては鏖殺《おうさつ》を事とするに至った。国民兵の某隊は、その私権をもって軍法会議を作り、わずか五分間のうちにひとりの捕虜の暴徒を裁断して死刑に処した。ジャン・プルーヴェールが殺されたのも、かかる即席裁判によってだった。実に狂猛なるリンチ法([#ここから割り注]私刑の法[#ここで割り注終わり])であって、それについてはいずれの党派も他を非難する権利を有しない。なぜならそれは、ヨーロッパの王政によって行なわれたとともにまたアメリカの共和政によっても行なわれたからである。そしてこのリンチ法には、また多くの誤解が含まっていた。ある日の暴動のおり、ポール・エーメ・ガルニエというひとりの若い詩人は、ロアイヤル広場で兵士に追跡されてまさに銃剣で突かれんとしたが、六番地の門の下に逃げ込んでようやく助かった。「サン[#「サン」に傍点]・シモン派のひとりだ[#「シモン派のひとりだ」に傍点]」と兵士らは叫んで、彼を殺そうとしたのである。彼はサン・シモン公の追想記を一冊小わきにかかえていた。ひとりの国民兵がその書物の上にサン[#「サン」に傍点]・シモン[#「シモン」に傍点]という一語を見て、「死刑だ!」と叫んだのだった。([#ここから割り注]訳者注 サン・シモン公は社会主義者サン・シモンとは別人[#ここで割り注終わり])
一八三二年六月六日、郊外からきた国民兵の一隊は、上にあげたファンニコ大尉に指揮されて、自ら好んで勝手に、シャンヴルリー街で大損害を受けた。この事実はいかにも不思議に思えるが、一八三二年の反乱後に開かれた法廷の審問によって証明されたものである。ファンニコ大尉は性急無謀な中流市民で、秩序の別働者とも称すべき男で、上に述べたような種類の人々のひとりであり、熱狂的な頑強《がんきょう》な政府党であって、時機がこないのに早くも射撃をしたくてたまらなくなり、自分ひとりですなわち自分の中隊で防寨《ぼうさい》を占領しようという野心に駆られた。赤旗が上げられ、次いで古い上衣が上げられたのを黒旗だと思い、それを見てまた激昂《げっこう》した。将軍や指揮官らは会議を開いて、断然たる襲撃の時機はまだきていないと考え、そのひとりの有名な言葉を引用すれば、「反乱が自ら自分を料理する」まで待とうとした時、彼は声高にそれを非難した。彼から見れば、防寨はもう熟していたし、熟したものは落ちるべきはずだったので、彼はあえて行動したのだった。
彼が指揮していた一隊も、彼と同じく決意の者どもであって、一実見者の言うところによると、「熱狂者ども」であった。彼の中隊は、詩人ジャン・プルーヴェールを銃殺した中隊で、街路の角《かど》に置かれてる大隊の先頭になっていた。最も意外な時機に、大尉は部下を防寨《ぼうさい》に突進さした。その行動は、戦略よりもむしろ多くほしいままな心からなされたもので、ファンニコの中隊には高価な犠牲をもたらした。街路の三分の二も進まないうちに、防寨からの一斉射撃《いっせいしゃげき》を被った。先頭に立って走っていた最も大胆な四人の兵は、角面堡《かくめんほう》の足下でねらい打ちにされた。そしてこの国民兵の勇敢な一群は、皆豪勇な者らではあったが戦いの粘着力を少しも持っていなかったので、しばらく躊躇《ちゅうちょ》した後、舗石《しきいし》の上に十五の死体を遺棄しながら、退却のやむなきに至った。その躊躇の暇は、暴徒らに再び弾をこめる余裕を与えた。そして避難所たる角に達しないうちに、第二の一斉射撃を受けてまた大なる損害を被った。一時彼らは敵味方の射撃の間にはさまれた。砲兵は何の命令も受けないのでなお発射を続けていたから、その霰弾《さんだん》をも受けたのである。大胆無謀なファンニコは、霰弾にたおれたひとりだった。彼は大砲すなわち秩序から殺されたのである。
その激しいというよりむしろ狂乱的な攻撃は、アンジョーラを激昂《げっこう》さした。彼は言った。
「ばか野郎! 下らないことに、部下を殺し、俺《おれ》たちに弾薬を使わせやがる。」
アンジョーラは暴動の真の将帥だったが、言葉もそれにふさわしかった。反軍と鎮定軍とは同等の武器で戦ってるのではない。反軍の方は早く力を失いやすいものであって、発射する弾薬にも限りがあり、犠牲にする戦士にも限りがある。一つの弾薬盒《だんやくごう》が空になり、ひとりの戦士がたおれても、もはやそれを補充すべき道はない。しかるに鎮定軍の方には、軍隊が控えて人員には限りがなく、ヴァンセンヌ兵機局が控えていて弾薬には限りがない。鎮定軍には、防寨の人員と同数ほどの連隊があり、防寨の弾薬嚢と同数ほどの兵器廠がある。それゆえ常に一をもって百に当たるの戦いであって、もし革命が突然現われて戦いの天使の炎の剣を秤《はかり》の一方に投ずることでもない限りは、防寨《ぼうさい》はついに粉砕さるるにきまっている。しかし一度革命となれば、すべてが立ち上がり、街路の舗石《しきいし》は沸き立ち、人民の角面堡《かくめんほう》は至る所に築かれ、パリーはおごそかに震い立ち、天意的なもの[#「天意的なもの」に傍点]が現われきたり、八月十日([#ここから割り注]一七九二年[#ここで割り注終わり])は空中に漂い、七月二十九日([#ここから割り注]一八三〇年[#ここで割り注終わり])は空中に漂い、驚くべき光が現われ、うち開いてる武力の顎《おとがい》はたじろぎ、獅子《しし》のごとき軍隊は、予言者フランスがつっ立って泰然と構えているのを、眼前に見るに至るのである。
十三 過ぎゆく光
一つの防寨を守る混沌《こんとん》たる感情と情熱とのうちには、あらゆるものがこもっている。勇気があり、青春があり、名誉の意気があり、熱誠があり、理想があり、確信があり、賭博者《とばくしゃ》の熱があり、また特に間歇的《かんけつてき》な希望がある。
この一時の希望の漠然《ばくぜん》たる震えの一つが、最も意外な時に、シャンヴルリーの防寨を突然|過《よ》ぎった。
「耳を澄まして見ろ、」となお様子をうかがっていたアンジョーラはにわかに叫んだ、「パリーが覚醒《かくせい》してきたようだ。」
実際六月六日の朝、一、二時間の間、反乱はある程度まで増大していった。サン・メーリーの頑強《がんきょう》な警鐘の響きは、逡巡《しゅんじゅん》してる者らを多少奮い立たした。ポアリエ街とグラヴィリエ街とに防寨が作られた。サン・マルタン凱旋門《がいせんもん》の前では、カラビン銃を持ったひとりの青年が、単独で一個中隊の騎兵を攻撃した。掩蔽物《えんぺいぶつ》もない大通りのまんなかで、彼は地上にひざまずき、銃を肩にあて引き金を引いて、中隊長を射殺し、それから振り向いて言った。「これでまたひとり悪者がなくなった[#「これでまたひとり悪者がなくなった」に傍点]。」彼はサーベルで薙《な》ぎ倒された。サン・ドゥニ街では、目隠し格子の後ろからひとりの女が、市民兵に向かって射撃をした。一発ごとに、目隠し格子の板が動くのが見えた。ポケットにいっぱい弾薬を入れている十四歳の少年がひとり、コソンヌリー街で捕えられた。多くの衛舎は攻撃を受けた。ベルタン・ポアレ街の入り口では、カヴェーニャク・ド・バラーニュ将軍が先頭に立って進んでいた一個連隊の胸甲兵が、まったく不意の激しい銃火にむかえ打たれた。プランシュ・ミブレー街では、屋根の上から軍隊を目がけて、古い皿の破片や什器《じゅうき》などが投げられた。それははなはだよくない徴候で、スールト元帥にその事が報告された時、昔ナポレオンの参謀だった彼もさすがに考え込んで、サラゴサの攻囲のおりシューシェが言った言葉を思い起こした、「婆さんどもまでが[#「婆さんどもまでが」に傍点]溲瓶《しびん》のものをわれわれの頭上にぶちまけるようになっては[#「のものをわれわれの頭上にぶちまけるようになっては」に傍点]、とてもだめだ[#「とてもだめだ」に傍点]。」
暴動は一局部のことと思われていた際に突然現われてきた各所の徴候、優勢になってきた憤怒の熱、パリー郭外と呼ばるる莫大《ばくだい》な燃料の堆積の上にあちらこちら飛び移る火の粉、それらのものは軍隊の指揮官らに不安の念を与えた。彼らは急いでそれらの火災の始まりをもみ消そうとつとめた。そしてモーブュエやシャンヴルリーやサン・メーリーなどの各|防寨《ぼうさい》は、最後に残して一挙に粉砕せんがために、各所の火の粉を消してしまうまで、その攻撃を延ばした。軍隊は沸き立った各街路に突進し、あるいは用心して徐々に進み、あるいは一挙に襲撃しながら、右に左に、大なるものは掃蕩《そうとう》し、小なるものは探査した。兵士らは銃を発射する人家の扉《とびら》を打ち破った。同時に騎兵も活動を始めて、大通りの群集を駆け散らした。そしてこの鎮圧はかなりの騒擾《そうじょう》を起こし、軍隊と人民との衝突に特有な騒々しい響きを立てた。砲火と銃火との響きの間々にアンジョーラが耳にしたのは、その騒ぎの音であった。その上彼は担架にのせられた負傷者らが通るのを街路の先端に認めて、クールフェーラックに言った、「あの負傷者らはわが党の者ではない。」
しかしその希望は長く続かなかった。光明は間もなく消えてしまった。三十分とたたないうちに、空中に漂ってたものは消散しつくした。あたかも雷を伴わない電火のようなものだった。孤立しながら固執する者らの上に人民の冷淡さが投げかける鉛のような重い一種の外套《がいとう》を、暴徒らは再び身に感じた。
漠然《ばくぜん》と輪郭だけができかかってきたらしい一般の運動は、早くも失敗に終わってしまった。今や陸軍大臣の注意と諸将軍の戦略とは、なお残ってる三、四の防寨の上に集中されることになった。
太陽は地平線の上に上ってきた。
ひとりの暴徒はアンジョーラを呼びかけた。
「われわれは腹がすいてる、実際こんなふうに何にも食わずに死ぬのかね。」
自分の狭間《はざま》の所になお肱《ひじ》をついていたアンジョーラは、街路の先端から目を離さずに、頭を動かしてうなずいた。
十四 アンジョーラの情婦の名
クールフェーラックはアンジョーラの傍《そば》の舗石《しきいし》の上にすわって、大砲をなお罵倒《ばとう》し続けていた。霰弾《さんだん》と呼ばるる爆発の暗雲が恐ろしい響きを立てて通過するたびごとに、彼は冷笑の声を上げてそれを迎えた。
「喉《のど》を痛めるぞ、ばかな古狸《ふるだぬき》めが。気の毒だが、大声を出したってだめだ。まったく、雷鳴《かみなり》とは聞こえないや、咳《せき》くらいにしか思われない。」
そして周囲の者は笑い出した。
クールフェーラックとボシュエは、危険が増すとともにますます勇敢な上きげんさになって、スカロン夫人のように、冗談をもって食物の代用とし、また葡萄酒《ぶどうしゅ》
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