がないので、人々に快活の気分を注いでまわった。
「アンジョーラは豪《えら》い奴だ。」とボシュエは言った。「あのびくともしない豪勇さはまったく僕を驚嘆させる。彼はひとり者だから、多少悲観することがあるかも知れん。豪《えら》いから女ができないんだといつもこぼしてる。ところがわれわれは皆多少なりと情婦を持っている。だからばかになる、言い換えれば勇敢になる。虎《とら》のように女に夢中になれば、少なくとも獅子《しし》のように戦えるんだ。それは女から翻弄《ほんろう》された一種の復讐《ふくしゅう》だ。ローランはアンゼリックへの面当《つらあて》に戦死をした。われわれの勇武は皆女から来る。女を持たない男は、撃鉄のないピストルと同じだ。男を勢いよく発射させる者は女だ。ところがアンジョーラは女を持っていない。恋を知らないで、それでいて勇猛だ。氷のように冷たくて火のように勇敢な男というのは、まったく前代未聞だ。」
アンジョーラはその言葉をも耳にしないかのようだった。しかし彼の傍にいた者があったら、彼が半ば口の中でパトリア[#「パトリア」に傍点]([#ここから割り注]祖国[#ここで割り注終わり])とつぶやくのを聞き取ったであろう。
ボシュエはなお冗談を言い続けていたが、その時クールフェーラックは叫んだ。
「またきた!」
そして来客の名を告げる接待員のような声を出して付け加えた。
「八斤砲でございます。」
実際新しい人物がひとり舞台に現われてきた。第二の砲門だった。
砲兵らはすみやかに行動を開始して、第二の砲を第一の砲の近くに据えつけた。
それによって、防寨《ぼうさい》の最後はほぼ察せられた。
しばらくすると、急いで操縦された二個の砲は、角面堡《かくめんほう》に向かって正面から火蓋《ひぶた》を切った。戦列歩兵や郊外国民兵らの銃火も、砲兵を掩護《えんご》した。
ある距離をへだてて他の砲声も聞こえた。二門の砲がシャンヴルリー街の角面堡に打ちかかったと同時に、他の二門の砲はサン・ドゥニ街とオーブリー・ル・ブーシュ街とに据えられて、サン・メーリーの防寨を攻撃したのである。四個の砲門は互いに恐ろしく反響をかわした。
それら陰惨な闘犬の吠《ほ》え声は、互いに応《こた》え合ったのである。
今やシャンヴルリー街の防寨を攻撃してる二門の砲のうち、一つは霰弾《さんだん》を発射し、一つは榴弾《りゅうだん》を発射していた。
榴弾を発射していた砲は、少し高く照準されて、防寨の頂の先端に弾が落下するようにねらわれたので、そこを破壊して、霰弾の破裂するがような舗石《しきいし》の破片を暴徒らの上に浴びせた。
かかる砲撃の目的は、角面堡の頂から戦士らを追いしりぞけ、その内部に集まらせようとするにあった。言い換えれば、突撃の準備だった。
一度戦士らが、榴弾のために防寨の上から追われ霰弾のために居酒屋の窓から追わるれば、襲撃隊はねらわれることもなくまたおそらく気づかれることもなく、その街路にはいり込むことができ、前夜のようににわかに角面堡をよじ上ることもでき、不意を襲って占領し得るかも知れなかった。
「どうしてもあの邪魔な砲門を少し沈黙させなければいけない。」とアンジジョーラは言った。そして叫んだ。「砲手を射撃しろ!」
一同は待ち構えていた。長く沈黙を守っていた防寨《ぼうさい》は、おどり立って火蓋《ひぶた》を切った。七、八回の一斉射撃《いっせいしゃげき》は、一種の憤激と喜悦とをもって相次いで行なわれた。街路は濃い硝煙《しょうえん》に満たされた。そして数分間の後、炎の線に貫かれたその靄《もや》をとおして、砲手らの三分の二は砲車の下にたおれてるのがかすかに見られた。残ってる者らはいかめしく落ち着き払って、なお砲撃に従事していたが、発射はよほどゆるやかになった。
「うまくいった。成功だ。」とボシュエはアンジョーラに言った。
アンジョーラは頭を振って答えた。
「まだ十五、六分間しなければ成功とはいえない。しかもそうすれば、もう防寨には十個ばかりの弾薬しか残らない。」
その言葉をガヴローシュが耳にしたらしかった。
十五 外に出たるガヴローシュ
クールフェーラックは防寨のすぐ下の外部に、弾丸の降り注ぐ街路に、ある者の姿を突然見いだした。
ガヴローシュが、居酒屋の中から壜《びん》を入れる籠《かご》を取り、防寨《ぼうさい》の切れ目から外に出て、角面堡《かくめんほう》の裾《すそ》で殺された国民兵らの弾薬盒《だんやくごう》から、中にいっぱいつまってる弾薬を取っては、平然としてそれを籠の中に入れてるのだった。
「そこで何をしてるんだ!」とクールフェーラックは言った。
ガヴロシーュは顔を上げた。
「籠をいっぱいにしてるんだ。」
「霰弾《さんだん》が見えないのか。」
ガヴローシュは答えた。
「うん、雨のようだ。だから?」
クールフェーラックは叫んだ。
「戻ってこい!」
「今すぐだ。」とガヴローシュは言った。
そして一躍して街路に飛び出した。
読者の記憶するとおり、ファンニコの中隊は退却の際に、死体を方々に遺棄していた。
その街路の舗石《しきいし》[#ルビの「しきいし」は底本では「しきうし」]の上だけに、二十余りの死体が散らばっていた。ガヴローシュにとっては二十余りの弾薬盒であり、防寨にとっては補充の弾薬であった。
街路の上の硝煙は霧のようだった。つき立った断崖《だんがい》の間の谷合に落ちてる雲を見たことのある者は、暗い二列の高い人家にいっそう濃くなされて立ちこめてるその煙を、おおよそ想像し得るだろう。しかも煙は静かに上ってゆき、絶えず新しくなっていた。そのために昼の明るみも薄らいで、しだいに薄暗くなってくるようだった。街路はごく短かかったけれども、その両端の戦士は互いに見分けることがほとんどできなかった。
かく薄暗くすることは、防寨《ぼうさい》に突撃せんとする指揮官らがあらかじめ考慮し計画したことだったろうが、またガヴローシュにも便利だった。
その煙の下に隠れ、その上身体が小さかったので、彼は敵から見つけられずに街路のかなり先まで進んでゆくことができた。まず七、八個の弾薬盒《だんやくごう》は、大した危険なしに盗んでしまった。
彼は平たく四つばいになって、籠《かご》を口にくわえ、身をねじまげすべりゆきはい回って、死体から死体へと飛び移り、猿《さる》が胡桃《くるみ》の実をむくように、弾薬盒や弾薬嚢《だんやくのう》を開いて盗んだ。
防寨の者らは、彼がなおかなり近くにいたにかかわらず、敵の注意をひくことを恐れて、声を立てて呼び戻すことをしかねた。
ある上等兵の死体に、彼は火薬筒を見つけた。
「喉《のど》のかわきにもってこいだ。」と彼は言いながら、それをポケットに入れた。
しだいに先へ進んでいって、彼はついに向こうから硝煙が見透せるぐらいの所まで達した。
それで、舗石《しきいし》の防壁の後ろに潜んで並んでる狙撃《そげき》戦列兵や街路の角《かど》に集まってる狙撃国民兵らは、煙の中に何かが動いてるのを突然見いだした。
ある標石の傍《そば》に横たわってる軍曹の弾薬をガヴローシュが奪っている時、弾が一発飛んできてその死体に当たった。
「ばか!」とガヴローシュは言った、「死んだ奴《やつ》をも一度殺してくれるのか。」
第二の弾は彼のすぐ傍の舗石に当たって火花を散らした。第三の弾は彼の籠をくつがえした。
ガヴローシュは[#「ガヴローシュは」は底本では「ガウーローシュは」]そちらをながめて、弾が郊外兵から発射されてるのを認めた。
彼は身を起こし、まっすぐに立ち上がり、髪の毛を風になびかし、両手を腰にあて、射撃してる国民兵の方を見つめ、そして歌った。
[#ここから4字下げ]
ナンテールではどいつも醜い、
罪はヴォルテール
バレーゾーではどいつも愚か、
罪はルーソー。
[#ここで字下げ終わり]
それから彼は籠《かご》を取り上げ、こぼれ落ちた弾薬を一つ残らず拾い集め、なお銃火の方へ進みながら、他の弾薬を略奪しに行った。その時第四の弾がきたが、それもまたそれた。ガヴローシュは[#「ガヴローシュは」は底本では「カヴローシュは」]歌った。
[#ここから4字下げ]
公証人じゃ俺《おれ》はないんだ、
罪はヴォルテール、
俺は小鳥だ、小さな小鳥、
罪はルーソー。
[#ここで字下げ終わり]
第五の弾がまたそれて、彼になお第三|齣《せつ》を歌わせた。
[#ここから4字下げ]
陽気なのは俺《おれ》の性質、
罪はヴォルテール、
みじめなのは俺の身じたく、
罪はルーソー。
[#ここで字下げ終わり]
そういうことがなおしばらく続いた。
その光景は、すさまじいとともにまた愉快なものだった。ガヴローシュは射撃されながら射撃を愚弄《ぐろう》していた。いかにもおもしろがってる様子だった。あたかも猟人を嘴《くちばし》でつっついてる雀《すずめ》のようだった。群が来るごとに彼は一連の歌で応じた。絶えず射撃はつづいたが、どれも命中しなかった。国民兵や戦列兵も彼をねらいながら笑っていた。彼は地に伏し、また立ち上がり、戸口のすみに隠れ、また飛び出し、姿を隠し、また現われ、逃げ出し、また戻ってき、嘲弄《ちょうろう》で霰弾《さんだん》に応戦し、しかもその間に弾薬を略奪し、弾薬盒《だんやくごう》を空《から》にしては自分の籠《かご》を満たしていた。暴徒らは懸念のために息をつめ、彼の姿を見送っていた。防寨《ぼうさい》は震えていたが、彼は歌っていた。それはひとりの子供でもなく、ひとりの大人《おとな》でもなく、実に不思議な浮浪少年の精であった。あたかも傷つけ得べからざる戦いの侏儒《しゅじゅ》であった。弾丸は彼を追っかけたが、彼はそれよりもなお敏捷だった。死を相手に恐ろしい隠れんぼをやってるかのようで、相手の幽鬼の顔が近づくごとに指弾《しっぺい》を食わしていた。
しかしついに一発の弾は、他のよりねらいがよかったのかあるいは狡猾《こうかつ》だったのか、鬼火のようなその少年をとらえた。見ると、ガヴローシュはよろめいて、それからぐたりと倒れた。防寨《ぼうさい》の者らは声を立てた。しかしこの侏儒《しゅじゅ》の中には、アンテウス([#ここから割り注]訳者注 倒れて地面に触るるや再び息をふき返すという巨人[#ここで割り注終わり])がいた。浮浪少年にとっては街路の舗石《しきいし》に触れることは、巨人が地面に触れるのと同じである。ガヴローシュは再び起き上がらんがために倒れたまでだった。彼はそこに上半身を起こした。一条の血が顔に長く伝っていた。彼は両腕を高く差し上げ、弾のきた方をながめ、そして歌い始めた。
[#ここから4字下げ]
地面の上に俺《おれ》はころんだ、
罪はヴォルテール、
溝《みぞ》の中に顔つき込んだ、
罪は……。
[#ここで字下げ終わり]
彼は歌い終えることができなかった。同じ狙撃者の[#「狙撃者の」は底本では「狙繋者の」]第二の弾が彼の言葉を中断さした。こんどは彼も顔を舗石の上に伏せ、そのまま動かなかった。偉大なる少年の魂は飛び去ったのである。
十六 兄は父となる
ちょうどその時リュクサンブールの園に――事変を見る目はどこへも配らなければならないから述べるが――ふたりの子供が互いに手を取り合っていた。ひとりは七歳くらいで、ひとりは五歳くらいだった。彼らは雨にぬれていたので、日の当たる方の径《みち》を歩いていた。年上の方は年下の方を引き連れていたが、二人ともぼろをまとい顔は青ざめ、野の小鳥のような様子をしていた。小さい方は言っていた、「腹がすいたよ。」
年上の方はほとんど保護者といったようなふうで、左手に弟を連れながら、右の手には小さな杖《つえ》を持っていた。
園の中には他に人もいなかった。園は寂然《せきぜん》としており、鉄門は反乱のため警察の手で閉ざされていた。そこに露営していた軍隊は戦いに招かれて出かけていた。
ふたりの子供はどうしてそこにいたのか? ある
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