の足を置いても、よかったであろうか。コゼットとマリユスと共に、彼も幸運の分前《わけまえ》をもらってもよかったであろうか。自分の頭の上の曇りと彼らの上の雲とを深めても、さしつかえなかったであろうか。彼らふたりの至福に自分の覆滅を、第三者として付け加えてもよかったであろうか。やはり何も打ち明けないでもよかったであろうか。一言にして言えば、それらふたりの幸福な者のそばに、宿命の気味悪い沈黙としてすわっていても、さしつかえないのであったろうか。
人は常に宿命とその打撃とになれていて、ある種の疑問が恐ろしい赤裸の姿で現われてきても、あえて目をあげてそれを見つめ得るようになっていなければいけない。善と悪とはそのきびしい疑問の背後に控えている。「どうするつもりか、」とそのスフィンクスは尋ねる。
ジャン・ヴァルジャンはそういう試練になれていた。彼はそのスフィンクスをじっと見つめた。
彼はその残忍な問題をあらゆる方向から考究した。
あの麗しいコゼットは、難破者たる彼にとっては一枚の板子《いたご》であった。しかるに今やいかにすべきであったか。それに取りついているべきか。それを離すべきか!
もしそれに取りついていれば、彼は破滅から免れ、日光のうちに上ってゆき、衣服と頭髪とから苦い水をしたたらせ、救われ、生きながらえることができるのだった。
もしそれを離せば!
その時は深淵《しんえん》あるのみだった。
かく彼は自分の考えに悲痛な相談をなしてみた。あるいは更に適切に言えば、戦いを開いた。彼は心のうちで、あるいは自分の意志に対してあるいは自分の確信に対して、猛然として飛びかかっていった。
泣くことができたのは、ジャン・ヴァルジャンにとって一つの仕合わせだった。それはおそらく彼の心を晴らしたであろう。けれども争いの初めは激烈だった。一つの暴風雨が、昔彼をアラスの方へ吹きやったのよりもいっそう猛烈な暴風雨が、彼のうちに荒れ回った。過去は現在の前に再び現われてきた。彼はその両者を比較し、そしてすすり泣いた。一度涙の堰《せき》が開かるるや、絶望した彼は身をもだえた。
彼は道がふさがったのを感じていた。
ああ、利己心と義務との激戦において、昏迷《こんめい》し、奮激し、降伏を肯《がえ》んぜず、地歩を争い、何らかの逃げ道をねがい、一つの出口を求めつつ、巍然《ぎぜん》たる理想の前から一歩一歩退く時、後方にある壁の根本は、いかに凄惨《せいさん》なる抵抗を突然なすことであるか。
道をさえぎる聖なる影を感ずる心地は!
目に見えざる酷薄なるもの、それはいかに執拗《しつよう》につきまとってくることか!
本心との戦いには決して終わりがない、ブルツスといえどもあきらめるがいい。カトーといえどもあきらめるがいい。本心は神なるがゆえに、底を持たない。その井戸の中へ、一生の仕事を投げ込み、幸運を投げ込み、富を投げ込み、成功を投げ込み、自由や祖国を投げ込み、安寧も、休息も、喜悦も、皆投げ込んでみよ。まだ、まだ、まだ足りない。瓶《びん》を空しゅうし、壺《つぼ》の底をはたけ。そして終わりに、おのれの心をも投げ込まなければならない。
いにしえの地獄の靄《もや》の中には、そういう大樽《おおだる》がどこかにある。
それを拒むのは許されないことであろうか。尽きることなき追求はその権利を持ってるのであろうか。限りなき鉄鎖は人力のたえ得ないものではないのであろうか。シシフス([#ここから割り注]訳者注 死後地獄の中にて永久に岩石を転がす刑に処せられし者[#ここで割り注終わり])やジャン・ヴァルジャンが、「もうこれが力の限りだ!」と言うのを、だれかとがめる者があろうか。
物質の服従には、磨損《まそん》するがために一定の限度がある。しかるに、精神の服従には限度がないのであろうか。永久の運動が不可能であるとするのに、それでも永久の献身が求め得らるるのであろうか。
第一歩は容易である。困難なのは最後の一歩である。シャンマティユーの事件も、コゼットの結婚および続いて来る事柄に比ぶれば何であったろう。再び徒刑場にはいることも、虚無のうちにはいりゆくことに比ぶれば何であろう。
下降の第一段は、いかに暗いものであることか。更に第二段は、いかに暗黒なるものであることか!
このたびは、いかにして顔をそむけないでおられようぞ。
殉教は、一つの浄化である、侵蝕による浄化である。聖化せしむる苛責《かしゃく》である。最初のうちはそれを甘んじて受くることができる。赤熱した鉄の玉座にすわり、赤熱した鉄の冠を額にいただき、赤熱した鉄の王国を甘諾し、赤熱した鉄の笏《しゃく》を執る。しかしなおその上に炎のマントを着なければならない。そしてその時こそ、みじめな肉体は反抗し、人はその苦痛を避けたく思うことが、ないであろうか。
ついにジャン・ヴァルジャンは、喪心の極、平静のうちにはいった。
彼は計画し、夢想し、光明と陰影との神秘な秤皿《はかりざら》の高低をながめた。
光り輝くふたりの若者に自分の刑罰を添加すること、もしくは、救う道なき自分の陥没を自分ひとりに止めること。前者はコゼットを犠牲にすることであり、後者は自己を犠牲にすることであった。
彼はいかなる解決をなしたか。いかなる決心を定めたか。宿命の森厳なる尋問に対して彼が心のうちでなした最後の確答は、何であったか。いかなる扉《とびら》を開こうと彼は決心したか。生命のいかなる方面の扉を、彼はいよいよ閉鎖しようと決心したか。四方をとりまいてる測り知られぬ断崖《だんがい》のうち、いずれを彼は選んだか。いかなる絶端を彼は甘受したか。それらの深淵《しんえん》のいずれに向かって、彼は首肯したか?
彼の昏迷的《こんめいてき》な夢想は終夜続いた。
彼はそのまま同じ態度で、寝床の上に身をかがめ、巨大な運命の下に平伏し、おそらくは痛ましくも押しつぶされ、十字架につけられた後|俯向《うつむ》けに投げ出された者のように、拳《こぶし》を握りしめ両腕を十の字にひろげて、夜が明けるまでじっとしていた。十二時間の間、冬の長い夜の十二時間の間、頭も上げず一言も発しないで、凍りついたようになっていた。自分の思念が、あるいは蛇のように地面をはい、あるいは鷲《わし》のように天空を翔《かけ》ってる間、死骸《しがい》のように身動きもしないでいた。その不動の姿は、あたかも死人のようだった。と突然彼は痙攣的《けいれんてき》に身を震わし、その口はコゼットの衣裳に吸い着いて、それに脣《くち》づけをした。彼がなお生きてることを示すものはただそれだけだった。
それを見ていた者は、だれであるか、だれかであるか? ジャン・ヴァルジャンはただひとりであって、そこにはだれもいなかったではないか。
否、闇《やみ》の中にある「あの人」が。
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第七編 苦杯の最後の一口
一 地獄の第七界と天国の第八圏
結婚の翌日は寂しいものである。人々は幸福なふたりの沈思に敬意を表し、またその眠りの長引くのに多少の敬意を表する。訪問や祝辞の混雑はしばらく後にしか始まってこないものである。さて二月十七日の朝、もう正午少し過ぎた頃だったが、バスクが布巾《ふきん》と羽箒《はねぼうき》とを腕にして、「次の間を片づけ」ていた時、軽く扉《とびら》をたたく音が聞こえた。呼び鐘は鳴らされなかった。こういう日にとっては少し不謹慎な訪れ方だった。バスクが扉を開くと、フォーシュルヴァン氏が立っていた。バスクは彼を客間に通した。客間はまだいっぱい取り散らされていて、前夜の歓楽のなごりをとどめていた。
「まあ旦那様《だんなさま》、」とバスクは言った、「私どもは遅く起きましたので。」
「御主人は起きておいでかね。」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
「お手はいかがでございます。」とバスクは尋ね返した。
「だいぶいい。御主人は起きておいでかね。」
「どちらでございますか、大旦那様《おおだんなさま》と若旦那様と。」
「ポンメルシーさんの方だ。」
「男爵様でございますか。」と言いながらバスクはまっすぐに身を伸ばした。
男爵などということは召し使いにとってはことに尊く思われるものである。彼らはそれから何かを受ける。哲学者が称号の余沫《よまつ》とでも呼びそうなものを、彼らは自分の身にまとって喜ぶ。ついでに言うが、マリユスは共和の戦士であり、実際それを行為に示してきたが、今は心ならずも男爵となっていた。この称号に関して家庭内に小さな革命が起こっていた。その称号を好んで用いるのは今ではジルノルマン氏であって、マリユスはむしろそれを避けていた。しかし、「予が子は予の称号を用うべし[#「予が子は予の称号を用うべし」に傍点]」とポンメルシー大佐から書き残されていたので、マリユスもそれに服従していた。その上、女たる自覚ができかかってきたコゼットは、男爵夫人たることを喜んでいた。
「男爵でございますか。」とバスクは繰り返した。「見て参りましょう。フォーシュルヴァン様がおいでになりましたと申し上げましょう。」
「いや、私だと言わないでくれ。内々にお話したいことがあると言ってる人とだけで、名前は言わないでくれ。」
「へえ!」とバスクは言った。
「ちょっとびっくりさしてみたいから。」
「へえ!」とバスクは、前の「へえ!」を自ら説明するようにして繰り返した。
そして彼は出て行った。
ジャン・ヴァルジャンはひとりになった。
上に言ったとおり、客間の中はすっかり取り散らされていた。もし耳を澄ましたら、婚礼の漠然《ばくぜん》たる騒ぎがまだ聞こえそうにも思われた。床《ゆか》の上には、花輪や髪飾りから落ちた各種の花が散らばっていた。根元まで燃えつきた蝋燭《ろうそく》は、燭台《しょくだい》の玻璃《はり》に蝋のしたたりを添えていた。器具はすっかりその位置が乱されていた。片すみには、三、四脚の肱掛《ひじか》け椅子《いす》が互いに丸く寄せられてなお話を続けてるがようだった。室《へや》全体が笑っていた。宴の果てた跡にもなお多くの優美さが残ってるものである。すべてが幸福だったのである。乱れてるそれらの椅子の上で、凋《しぼ》んでるそれらの花の間で、消えてるそれらの灯火の下で、人々は喜びの念をいだいたのである。今や太陽の光は蝋燭の後を継いで、客間のうちに楽しくさし込んでいた。
数分間過ぎた。ジャン・ヴァルジャンはバスクと別れた所にじっと立っていた。顔は青ざめていた。その目は落ちくぼんで、不眠のためほとんど眼窩《がんか》の中に隠れてしまっていた。その黒服には乱れた皺《しわ》がついていて、一晩中着通されたことを示していた。その肱は敷き布とすれ合った跡が白く毛ばだっていた。彼は自分の足もとに、太陽の光で窓の形が床の上に投げられてるのをながめていた。
扉《とびら》の所に音がした。彼は目をあげた。
マリユスがはいってきた。頭を上げ、口もとに笑《え》みを浮かべ、一種の輝きを顔に漂わせ、ゆったりとした額で、揚々たる目をしていた。彼もまた一睡もしていなかった。
「あああなたでしたか、お父さん!」と彼はジャン・ヴァルジャンを見て叫んだ。「バスクの奴《やつ》妙にもっともらしい様子をしたりなんかして! それにしてもたいそう早くいらしたですね。まだ十二時半にしかなりませんよ。コゼットは眠っています。」
フォーシュルヴァン氏に向かってマリユスが言った「お父さん」という言葉は、最上の喜びを意味するものだった。読者の知ってるとおり、彼らの間には常に、絶壁と冷ややかさと気兼ねとが、砕き融《と》かさなければならない氷が、介在していた。ところが今やマリユスに喜びの時がきて、その絶壁も低くなり、その氷も融け、フォーシュルヴァン氏は彼にとってもコゼットにとっても同じくひとりの父となったのである。
彼は続けて言った。喜悦の聖《きよ》い発作の特色として、言葉は彼からあふれ出た。
「お目にかかってほんとにうれしく思います。昨日いて下さらなかったので私どもはどんなに寂しかったでしょう。
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