がやったのである。
コゼットは白|琥珀《こはく》の裳衣の上にバンシュ紗《しゃ》の長衣をまとい、イギリス刺繍《ししゅう》のヴェール、みごとな真珠の首環《くびわ》、橙花《オレンジ》の帽をつけていた。それらは皆白色だったが、その白ずくめの中で彼女は光り輝いていた。美妙な純潔さが光明のうちに綻《ほころ》びて姿を変えようとしてるありさまだった。処女が女神になろうとしてるのかと思われた。
マリユスの美しい髪は艶々《つやつや》として薫《かお》っていた。その濃い巻き毛の下には所々に、防寨《ぼうさい》での創痕《きずあと》である青白い筋が少し見えていた。
祖父は昂然《こうぜん》として頭をもたげ、バラス([#ここから割り注]訳者注 革命内閣時代の華美豪奢な人物[#ここで割り注終わり])の時代のあらゆる優美さを最もよく集めた服装と態度とをして、コゼットを導いていた。ジャン・ヴァルジャンが腕をつっていて花嫁に腕を貸すことができなかったので、彼がその代わりをしているのだった。
ジャン・ヴァルジャンは黒い服装をして、そのあとに従いほほえんでいた。
「フォーシュルヴァンさん、」と祖父は彼に言った、「実にいい日ではありませんか。これで悲しみや苦しみはおしまいにしたいもんです。これからはもうどこにも悲しいことがあってはいけません。まったく私は喜びを主張します。悪は存在の権利を持つものではありません。実際世に不幸な人々がいることは、青空に対して恥ずべきことです。悪は元来善良である人間から来るものではありません。人間のあらゆる悲惨は、その首府として、またその中央政府として、地獄を持っています、言い換えれば悪魔のテュイルリー宮殿を持ってるのです。いやこれは、今では私も過激派のような言い方をするようになりましたかな。ところで私はもう、何ら政治上の意見は持っていません。すべての人が金持ちであるように、すなわち愉快であるように、それだけを私は望んでいるんです。」
あらゆる儀式を完成させるものとして、区長の前と牧師の前とである限りのしかりという答えを発した後、区役所の書面と奥殿の書面とに署名した後、ふたり互いに指輪を交換した後、香炉の煙に包まれて、まっ白な観世模様絹の天蓋《てんがい》の下に相並んでひざまずいた後、ふたり互いに手を取り合って、すべての人々から賛美されうらやまれつつ、マリユスは黒服をまとい彼女は白服をまとい、大佐の肩章をつけ鉞《まさかり》で舗石《しきいし》に音を立てる案内人のあとに従い、魅せられてる見物人の人垣の間を進んで、両扉《りょうひ》とも大きく開かれてる教会堂の表門の下まで行き、再び馬車に乗るばかりになって、すべてが終わった時、コゼットはまだそれが夢ではないかと疑っていた。彼女はマリユスをながめ、群集をながめ、空をながめた。あたかも夢からさめるのを恐れてるがようだった。そのびっくりした不安な様子は言い知れぬ一種の魅力を彼女に添えていた。家に戻るために、彼らはいっしょに相並んで同じ馬車に乗った。ジルノルマン氏とジャン・ヴァルジャンとがふたりに向き合ってすわった。ジルノルマン伯母《おば》は一段だけ位を落とされて、二番目の馬車に乗った。祖父は言った。「これでお前たちは、三万フランの年金を持ってる男爵および男爵夫人となったわけだ。」コゼットはマリユスに近く寄り添って、天使のようなささやきで彼の耳根をなでた。「本当なのね。私の名もマリユスね。私はあなたの夫人なのね。」
彼らふたりは光り輝いていた。彼らは、再び来ることのない見いだそうとて見いだせない瞬間にあり、あらゆる青春と喜悦とのまばゆい交差点にあった。彼らはジャン・プルーヴェールの詩を実現していた。ふたりの年齢を合わしても四十歳に満たなかった。精気のような結婚であって、そのふたりの若者は二つの百合《ゆり》の花であった。彼らは互いに見ることをせず、しかも互いに見とれ合っていた。コゼットはマリユスを光栄の中にながめ、マリユスはコゼットを祭壇の上にながめていた。そしてその祭壇の上とその光栄の中とに、ふたりは共に神となって相交わり、その奥に、コゼットにとっては霞《かすみ》のうしろに、マリユスにとっては炎の中に、ある理想的なものが、現実的なものが、脣《くち》づけと夢との会合が、婚姻の枕が、横たわってるのだった。
過去のあらゆる苦しみは戻ってきて、かえって彼らを酔わした。苦痛、不眠、涙、煩悶《はんもん》、恐怖、絶望、それらのものも今は愛撫と光輝とに姿を変じて、まさにきたらんとする麗しい時間を更に麗しくするように思われた。そしてあらゆる悲しみも今は喜びの装いをする召し使いのように思われた。苦しんだのはいかに仕合わせなことであるか。彼らの不幸は今や彼らの幸福に曙《あけぼの》の色を与えていた。ふたりの愛の長い苦悶《くもん》はついに昇天の喜びに達したのである。
彼らふたりの魂のうちには、マリユスにあっては快楽の色に染められコゼットにあっては貞節の色に染められてる同じ歓喜があった。彼らは声低く語り合った。ふたりでプリューメ街の小さな庭をまた見に行こうと。コゼットの長衣の襞《ひだ》はマリユスの上に置かれていた。
そういう日こそは、夢幻の確実との得も言えぬ混同の日である。人は実際に所有しまた仮想する。種々想像するだけの余裕がまだ残っている。ま昼にあってま夜中のことを思うその日こそは、実に名状し難い情緒に満ちてるものである。彼らふたりの心の楽しさは、衆人の上にも流れ出し、通りすがりの者らにも喜悦の気を与えていた。
サン・タントアーヌ街のサン・ポール教会堂の前には、多くの人が立ち止まって、コゼットの頭の上に震える橙花《オレンヂ》を馬車のガラス戸越しにながめていた。
それから一同は、フィーユ・デュ・カンヴェール街の自宅に戻った。マリユスはコゼットと相並んで、かつて瀕死の身体を引きずり上げられたあの階段を、光り輝き昂然《こうぜん》として上っていった。貧しい人々は、戸口の前に集まってもらった金を分かちながら、ふたりを祝福した。至る所に花が撒《ま》かれていた。家の中も教会堂に劣らずかおりを放っていた。香《こう》の次に薔薇《ばら》の花となったのである。ふたりは無窮のうちに歌声を聞くような気がし、心のうちに神をいだき、宿命を星の輝く天井のように感じ、頭の上に朝日の光を見るがように思った。突然大時計が鳴った。マリユスはコゼットの美しい裸の腕と、胴衣のレース越しにかすかに見える薔薇色のものとをながめた。そしてコゼットはマリユスの視線を見て、目の中までもまっ赤になった。
ジルノルマン一家の旧友の多数は、皆招待されていた。人々はコゼットのまわりに集まって、先を争いながら男爵夫人と彼女に呼びかけた。
今は大尉になってるテオデュール・ジルノルマン将校も、徒弟ポンメルシーの結婚に列するため、任地のシャルトルからやってきていた。コゼットは彼の顔を忘れていた。
彼の方では、いつも婦人らからきれいだと思われてばかりいたので、もうコゼットのことも頭に残っていなかった。
「この槍騎兵《そうきへい》の話を本当にしないでよかった。」とジルノルマン老人はひとりで思った。
コゼットはこれまでにないほどジャン・ヴァルジャンに対してやさしかった。また彼女はジルノルマン老人としっくり調子が合っていた。老人が盛んに警句や格言を使って喜びを述べ立ててる間、彼女は愛と善良さとをかおりのように発散さしていた。幸福はすべての者が楽しからんことを欲するものである。
彼女はジャン・ヴァルジャンに話しかける時は、少女時代の声の調子に戻っていた。また、ほほえみを送って彼に甘えていた。
饗応《きょうおう》の宴は食堂に設けられていた。
昼間のように明るい灯火は、大なる喜びの席にはなくてならないものである。靄《もや》と暗さとは決して幸福な人々の好むものではない。彼らは黒い姿となるのを喜ばない。夜はよいが、暗闇《くらやみ》はいけない。もし太陽が出ていなければ、それを別に一つこしらえなければならない。
食堂は楽しい器具の巣であった。中央には、まっ白に光ってる食卓の上に、平たい延べ金の下飾りがついてるヴェニス製の大燭台《だいしょくだい》が一つあって、その四方の枝の蝋燭《ろうそく》に囲まれたまんなかには、青や紫や赤や緑などに塗った各種の鳥がとまっていた。大燭台《おおしょくだい》のまわりには多くの飾り燭台があり、壁には三枝もしくは五枝に分かれた反射鏡がかかっていた。鏡、水晶器具、ガラス器具、皿、磁器、陶器、土器、金銀細工物、銀の器具など、すべてが輝き笑っていた。燭台の間々には花輪がいっぱい積まれていて、至る所光か花かであった。
次の間《ま》では、三つのバイオリンと一つの笛とが制音器をつけて、ハイドンの四部合奏曲を奏していた。
ジャン・ヴァルジャンは客間の入り口の横手の椅子《いす》にすわっていて、扉《とびら》が開くとほとんどそのうしろに隠れるようになっていた。食堂にはいるちょっと前に、コゼットはふと引きずられるように彼のそばに寄ってゆき、両手で花嫁の衣裳をひろげながら深い愛敬の様子を示し、やさしいいたずらそうな目つきをして尋ねた。
「お父さま、あなたおうれしくて?」
「ああ、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「うれしい。」
「では笑ってちょうだいな。」
ジャン・ヴァルジャンは笑顔をした。
やがて、バスクは食事の用意が整ったことを告げた。
客人らは、コゼットに腕を貸してるジルノルマン氏のあとについて、食堂にはいり、予定の順序で食卓のまわりに並んだ。
花嫁の右と左とにある二つの大きな肱掛《ひじか》け椅子《いす》には、一つにジルノルマン氏がすわり、一つにジャン・ヴァルジャンがすわることになっていた。ジルノルマン氏は席についた。しかしも一つの肱掛《ひじか》け椅子《いす》にはだれもいなかった。
人々は「フォーシュルヴァン氏」の姿を見回した。
彼はもうそこにいなかった。
ジルノルマン氏はバスクに声をかけた。
「フォーシュルヴァンさんはどこにおらるるか知っていないか。」
「はい存じております。」とバスクは答えた。「フォーシュルヴァン様は、お手の傷が少し痛まれて、男爵お二方と会食ができないから、旦那様《だんなさま》によろしく申し上げてほしいと私にお伝えでございました。そして今晩は御免を被って、明朝来るからと申されて、ただ今お帰りになりました。」
その空《から》の肱掛け椅子のために、婚礼の宴は一時|白《しら》けた。しかしフォーシュルヴァン氏は不在でも、ジルノルマン氏がそこにいて、ふたり分にぎやかにしていた。もし傷が痛むようならフォーシュルヴァン氏は早くから床につかれた方がよいが、しかしそれもちょっとしたいたいた[#「いたいた」に傍点]に過ぎない、と彼は断言した。そしてその言葉でもう充分だった。それにもとより、一座喜びにあふれてる中にあってその薄暗い一隅《いちぐう》などは何でもないことだった。コゼットとマリユスはもう幸福の影しか頭に映らないような利己的な至福な瞬間にあった。それにまたジルノルマン氏は妙案を思いついた。「ところでその肱掛け椅子が空《あ》いている。マリユス、お前がそこにすわるがいい。伯母《おば》さんの方に権利はあるんだが、きっとお前に許してくれるよ。その席はお前のだ。それが正当で、また至極おもしろい。好運児と幸運女とは相並ぶべしだ。」人々は皆|喝采《かっさい》した。マリユスはコゼットのそばにジャン・ヴァルジャンの席についた。そして万事うまくいったので、初めジャン・ヴァルジャンの不在を悲しく思っていたコゼットも、ついに満足するようになった。マリユスがジャン・ヴァルジャンの代わりになった時、コゼットはもう神を恨まなかった。彼女は白繻子《しろじゅす》の上靴《うわぐつ》をつけた小さなやさしい足を、マリユスの足の上にのせた。
肱掛《ひじか》け椅子《いす》はふさがり、フォーシュルヴァン氏はなくなってしまい、何も欠けた所はなかった。そして五分もたつうちには、食卓全体はすべて
前へ
次へ
全62ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング