ヘラクレス神、アリストファネスに目を伏せさせた巫女《みこ》のように、ラブレーにも耳を押さえさせるかと思われるばかりの無作法な女ども、麻屑《あさくず》の鬘《かつら》、薔薇色《ばらいろ》の肉襦袢《にくじゅばん》、洒落者《しゃれもの》の帽子、斜眼者《やぶにらみ》の眼鏡《めがね》、蝶になぶられてるジャノー([#ここから割り注]訳者注 滑稽愚昧な人物[#ここで割り注終わり])の三角帽、徒歩の者らに投げつける叫び声、腰にあてた拳《こぶし》、無作法な態度、裸の肩、仮面をつけた顔、ほしいままな醜態、それから花の帽子をかぶった御者が撒《ま》き散らす無茶苦茶な悪口、そういうのがこの見世物のありさまである。
ギリシャにはテスピスの四輪馬車が必要であったが、フランスにはヴァデの辻馬車《つじばしゃ》が必要である。([#ここから割り注]訳者注 前者は悲劇の開祖たるギリシャ詩人、後者は通俗詩の開祖たるフランス詩人[#ここで割り注終わり])
いかなるものも皆道化化され得る、道化そのものも更に道化化され得る。古代美の渋面であるサツルヌス祭も、しだいに度を強めてきてついに謝肉祭《カルナヴァル》末日となっている。昔は葡萄蔓《ぶどうづる》の冠をかぶり太陽の光を浴び、神々しい半身裸体のうちに大理石で造られたような乳房を示していた酒神《バッカス》祭も、今日では北部の湿ったぼろの下に形がくずれてきて、仮面行列と言われるようになっている。
仮装馬車の風習は王政時代のごく古くからあった。ルイ十一世の会計報告によれば、「仮装辻馬車三台のためにトールヌア貨幣二十」を宮廷執事に使わせている。現今では、それら一群の騒々しい仮装人物らは、たいてい旧式な辻馬車《つじばしゃ》の上段にいっぱい立ち並び、あるいは幌《ほろ》をおろした市営幌馬車にがやがやつまっている。六人乗りの馬車に二十人も乗っている。椅子《いす》や腰掛けや幌の横や轅《ながえ》にまでも乗っている。照灯にまたがってる者さえある。あるいは立ち、あるいは寝ころび、あるいは腰をかけ、あるいは足をねじ曲げ、あるいは脛《すね》をぶら下げてる。女は男の膝《ひざ》に腰掛けてる。遠くから見ると、それらのうようよした頭が妙なピラミッド形をなしている。そしてこの一馬車の者どもは、群集のまんなかに歓喜の山となってそびえている。コレやパナールやピロン([#ここから割り注]訳者注 皆諧謔風刺に富んだ詩人[#ここで割り注終わり])などのような言葉が、更に隠語を交じえてそれから流れ出る。その上方から群集の上に、野卑な文句が投げつけられる。できる限りたくさんの人を積んでるその馬車は、戦利品のようなありさまに見える。前部は喧騒《けんそう》をきわめ、後部は混雑をきわめている。一同は怒鳴り、喚《わめ》き、吼《ほ》え、笑い、有頂天になっている。快活の気はわき立ち、譏刺《きし》は燃え上がり、陽気さは緋衣《ひい》のようにひろがっている。二匹の痩馬《やせうま》は、花を開いてる滑稽を神に祭り上げて引いてゆく。それは哄笑《こうしょう》の凱旋車《がいせんしゃ》である。
その哄笑は、露骨というにはあまりに皮肉すぎる。実際その笑いには怪しげな気がこもっている。それは一つの使命を帯びてるのである。パリー人に謝肉祭を示すの役目を持ってるのである。
それら野卑無作法な馬車には、何となく暗黒の気が感ぜらるるものであって、思索家をして夢想に沈ませる。その中には政府がいる。公人と公娼《こうしょう》との不思議な和合がそこにはっきりと感ぜらるる。
種々の醜悪が積み重なって一つの快活さを作り上げること、破廉恥と卑賤《ひせん》とを積み上げて民衆を酔わすこと、間諜が醜業をささえる柱となって衆人を侮辱しながらかえって衆人を侮辱しながらかえって衆人を笑わせること、金ぴかのぼろであり、半ば醜業と光明とであり、吠《ほ》えまた歌っている、その生きた恐ろしい積み荷が、辻馬車《つじばしゃ》の四つの車輪に運ばれてゆくのを見て、群集が喜ぶこと、あらゆる恥辱でできてるその光栄に向かって、人々が手をたたいて喝采《かっさい》すること、二十の頭を持った喜悦の怪蛇《かいだ》を自分たちのまんなかに引き回してもらうという以外には、群集にとって何らおもしろいにぎわいもないということ、それは確かに悲しむべきことである。しかしどうしたらいいのか。リボンと花とで飾られた汚賤《おせん》のそれらの車は、公衆の笑いによって侮辱されながら赦《ゆる》されているではないか。すべての者の笑いは、一般の堕落を助ける。ある種の不健全なにぎわいは、民衆を分散さして多衆となす。そして多衆にとっては暴君にとってと同じく、諧謔《かいぎゃく》が必要である。国王にはロクロールがあり、人民にはパイヤスがある([#ここから割り注]訳者注 前者はルイ十四世の下にいた諧謔をもって知られし将軍、後者は卑俗な喜劇によく出て来る一種の道化役[#ここで割り注終わり])。パリーは荘厳な大都市たることを止むる時には常に狂愚な大都会となる。謝肉祭はその政治の一部分となっている。うち明けて言えば、パリーは好んで破廉恥な喜劇を受け容れる。もし主人があれば、その主人はただ一事をしか求めない、すなわちわれに泥《どろ》を塗ってくれと。ローマも同じ気質を持っていた。ローマはネロを愛していた。しかるにネロは巨大なる泥塗り人であった。
さて、前に言ったとおり、婚礼の行列が大通りの右側に止まった時偶然にも、仮面をつけた男女が房のようにかたまって乗り込んでるその大きな四輪馬車の一つが、大通りの左側に止まった。そして仮装馬車はちょうど新婦の馬車と大通りをはさんで向かい合った。
「おや!」と仮装のひとりが言った、「婚礼だ。」
「嘘《うそ》の婚礼だ。」と他のひとりが言った。「本物は俺《おれ》たちの方だ。」
そして、婚礼の列の方へ言葉をかけるには少し離れすぎていたし、また巡査の制止の声を恐れていたので、仮装のふたりは他の方を向いた。
すぐに、仮装馬車の者らはごく忙しくなった。群集が彼らに悪罵《あくば》の声をかけ始めた。それは仮装の者らに対する群集の愛撫である。今言葉をかわしたふたりも、仲間の者らといっしょに、衆人に立ち向かわなければならなかった。彼らは道化者のあらゆる武器を持っていたが、無数の人々の悪謔《あくぎゃく》を相手にして他を顧みるの余裕がなかった。そして仮装の者らと群集との間に激しく諧謔《かいぎゃく》がかわされた。
そのうちに、同じ馬車に乗っていた他の仮装のふたり、すなわちお爺《じい》さんのふうをしてばかに大きな黒髭《くろひげ》をつけてる鼻の大きなスペイン人と、黒ビロードの仮面をつけてるごく若いやせたはすっぱ娘とが、やはり婚礼の馬車に目を止めて、仲間の者らと道行人らとが互いに野次りかわしてる間に、低い声で話をした。
彼らのふたりの内緒話は、喧騒《けんそう》の声に包まれて他にもれなかった。去来する雨に、あけ放してある馬車の中はすっかりぬれていた。それに二月の風はまだ寒い。スペイン人に答えながら、首筋をあらわにしたはすっぱ娘の方は、震え笑いかつ咳《せき》をしていた。
その会話は次のとおりだった。([#ここから割り注]訳者注 以下の会話は隠語を交じえたものと想像していただきたい[#ここで割り注終わり])
「なあ、おい。」
「なによ、お父《とう》さん。」
「あの爺さんが見えるか。」
「どの爺さん?」
「向こうの、婚礼馬車の一番先のに乗ってる、こちら側のさ。」
「黒い布で腕をつってる方の。」
「そうだ。」
「それがどうしたの。」
「どうも確かに見覚えがある。」
「そう。」
「この首を賭《か》けてもいい、この命を賭けてもいい、俺《おれ》は確かにあのパンタン人([#ここから割り注]パリー人[#ここで割り注終わり])を知ってる。」
「なるほど今日は、パリーはパンタンだね。」([#ここから割り注]訳者注 パンタンとは小さな操り人形のことにて仮面道化をさすのであるが、また下層の俗語ではパリーのことをパンタンという[#ここで割り注終わり])
「少しかがんだらお前に花嫁が見えやしないか。」
「見えない。」
「花婿の方は?」
「あの馬車には花婿はいないよ。」
「なあに!」
「いないよ、もひとりの爺《じい》さんが花婿なら知らないが。」
「とにかくよくかがんで花嫁を見てくれ。」
「見えやしないよ。」
「じゃいいさ。だが手をどうかしてるあの爺さんを、俺は確かに知ってる。」
「爺さんを知ってるったって、それがなにになるんだね。」
「それはわからねえ。だが時には何かになるさ。」
「あたしは爺《じい》さんなんかあまり気には止めないよ。」
「俺はあいつを知ってる!」
「勝手に知るがいいよ。」
「どうして婚礼の中に出てきたのかな。」
「よけいなことだよ。」
「あの婚礼はどこから出たのかな。」
「あたしが知るもんかね。」
「まあ聞けよ。」
「なに?」
「ちょっと頼まれてくれ。」
「なにを?」
「馬車からおりてあの婚礼の跡をつけるんだ。」
「どうして?」
「どこへ行くのか、そしてどういう婚礼か、少し知りてえんだ。急いでおりて駆けていけ、お前は若いから。」
「この馬車を離れることはできないよ。」
「なぜだ。」
「雇われているんだからさ。」
「畜生!」
「はすっぱ娘になって警視庁から一日分の給金をもらってるじゃないかね。」
「なるほど。」
「もし馬車から離れて、警視に見つかろうもんなら、すぐにつかまってしまう。よく知ってるくせに。」
「うん、知ってるよ。」
「今日は、あたしはお上《かみ》から買われた身だよ。」
「それはそうだが、どうもあの爺《じい》さんが気になる。」
「爺さんなのが気になるの。若い娘でもないくせにね。」
「一番先の馬車に乗ってる。」
「だから?」
「花嫁の馬車に乗ってる。」
「それで?」
「花嫁の親に違いねえ。」
「それがどうしたのさ。」
「花嫁の親だというんだ。」
「そうさね、ほかに親はいやしない。」
「まあ聞けよ。」
「なんだね?」
「俺《おれ》は仮面をつけてでなけりゃ外にはあまり出られねえ。こうしてりゃ、顔が隠れてるからだれにもわからねえ。だが明日《あした》になったらもう仮面がなくなる。明日は灰の水曜日([#ここから割り注]四旬節第一日[#ここで割り注終わり])だ。うっかりすりゃ捕《つか》まっちまう。また穴の中に戻らなきゃあならねえ。ところがお前は自由な身体だ。」
「あまり自由でもないよ。」
「でも俺よりは自由だ。」
「だからどうなのよ?」
「あの婚礼がどこへ行くか調べてもらいたいんだ。」
「どこへ行くか?」
「そうだ。」
「それはわかってるよ。」
「なに、どこへ行くんだ?」
「カドラン・ブルーへさ。」
「なにそっちの方面じゃねえ。」
「それじゃ、ラーペへさ。」
「それともほかの方かも知れねえ。」
「それは向こうの勝手さ。婚礼なんてものはどこへ行こうと自由じゃないか。」
「まあそんなことはどうでもいい。とにかく、あの婚礼はどういうもので、あの爺《じい》さんはどういう男で、またあの人たちはどこに住んでるか、それを俺に知らしてくれというんだ。」
「いやだよ! ばかばかしい。一週間もたってから、謝肉祭の終わりの火曜日にパリーを通った婚礼がどこへ行ったか調べたって、なかなかわかるもんじゃないよ。藁小屋《わらごや》の中に落ちた針をさがすようなもんだ。わかりっこないよ。」
「でもまあやってみるんだ。いいかね、アゼルマ。」
そのうち二つの列は、大通りの両側で反対にまた動き出した。そして花嫁の馬車は仮装馬車から見えなくなってしまった。
二 なお腕をつれるジャン・ヴァルジャン
夢想を実現すること。だれがそれを許されているか。それには天における推薦を得なければならない。人は皆自ら知らずして候補に立つ、そして天使らが投票をする。コゼットとマリユスとはその選にはいっていた。
区役所と教会堂とにおけるコゼットは、燦然《さんぜん》として人の心を奪った。彼女の身じたくは、ニコレットの手伝いで重《おも》にトゥーサン
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