。昔はね、愛すべき昔では、人は賢い婚礼をしたものだ。りっぱな契約をし、次にりっぱなごちそうをしたものだ。キュジャスが出てゆくとガマーシュがはいってきたものだ([#ここから割り注]訳者注 前者は法律学者の典型にて、後者はドン・キホーテの一※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話中に出てくる婚礼の大馳走をする田舎者[#ここで割り注終わり])。というのも、胃袋というものは愉快な奴《やつ》で、自分の分け前を求め、自分もまた婚礼をしようとするからだ。皆よく食ったし、また食卓では、胸当てをはずして適宜にえりを開いてる美人と隣合ってすわったものだ。皆大きく口をあいて笑うし、あの時代は実に愉快な者ばかりだった。青春は花輪だった。若い男は皆、ライラックの一枝か薔薇《ばら》の一握りかを持っていた。軍人までも皆羊飼いだった。たとい竜騎兵の将校でも、フロリアン([#ここから割り注]訳者注 十八世紀の後半の寓話作者[#ここで割り注終わり])と人から呼ばるる術を心得ていた。皆きれいに着飾るように心掛けていた。刺繍《ししゅう》をつけ緋絹《ひぎぬ》をつけていた。市民は花のようだったし、侯爵は宝石のようだった。脚絆留《きゃはんど》めをつけたり長靴《ながぐつ》をつけたりはしなかった。はなやかで、艶々《つやつや》しく、観世模様をつけ、蝦茶色《えびちゃいろ》ずくめで、軽快で、華奢《きゃしゃ》で、人の気をそらさないが、それでもなお腰には剣を下げていた。蜂雀も嘴《くちばし》と爪《つめ》とを持ってるものだ。優美なる藍色服の人々[#「優美なる藍色服の人々」に傍点]の時代だった。その時代の一面は繊麗であり、一面は壮麗だった。そして人々は遊び戯れていたものだ。ところが今日ではだれも皆まじめくさってる。市民はけちで貞節ぶってる。お前たちの世紀は不幸なものだ。あまり首筋を出しすぎてると言っては優美の女神を追いやっている。あわれにも、美しさをも醜さと同じように包み隠してる。革命から後は、だれでもズボンをはくようになった、踊り娘《こ》までそうだ。道化女もまじめくさり、リゴドン踊りも理屈っぽくなってる。威儀を正してなけりゃいけない。襟飾《えりかざ》りの中に頤《あご》を埋めていなけりゃ気を悪くされる。結婚しようとする二十歳の小僧の理想は、ロアイエ・コラール氏([#ここから割り注]訳者注 立憲王党派の謹厳なる学者[#ここで割り注終わり])のようになろうということだ。そしてお前たちは、そういう威容をばかり保ってついにどうなるか知ってるのか。ただ矮小《わいしょう》になるばかりだ。よく覚えておくがいい、快活は単に愉快であるばかりでなく、また偉大である。だから快活に恋をするがいい。結婚するなら、熱情と無我夢中と大騒ぎと混沌たる幸福とをもって結婚するがいい。教会堂でしかつめらしくしてるのもよいが、弥撒《みさ》がすんだら、新婦のまわりに夢の渦巻《うずま》きを起こさしてやるがいい。結婚は堂々としていてしかも放恣《ほうし》でなくちゃいかん。ランスの大会堂からシャントルーの堂まで練り歩かなくちゃいかん。元気のない婚礼は思ってもいやだ。少なくともその当日だけは、オリンポスの殿堂にはいった気でなくてはね。神々になった気でなくてはね。ああみんなして、空気の精や遊びの神や笑いの神や銀楯の精兵などになるがいい。小鬼になるがいい。結婚したての者は皆アルドブランディニ侯([#ここから割り注]訳者注 十七世紀の初めに見いだされた華麗な結婚図の古い壁画の主人公[#ここで割り注終わり])のようでなくちゃいけない。生涯にただ一度のその機会に乗じて、白鳥や鷲と共に火天まで舞い上がっていくんだ。そして翌日また中流市民の蛙《かえる》の中に落ちてこないですむようにしなくちゃいけない。結婚について倹約したり、その光輝をそぐようなことをしてはいけない。光栄の日にけちけちするものではない。婚礼は世帯ではない。わしの思いどおりにやれたら、実にみやびなものになるんだがな。木立ちの中にはバイオリンの音を響かしてやる。計画と言っては、空色と銀だ。儀式には田野の神々をも並べてみせる。森の精や海の精をも招きよせてみせる。アンフィトリテ([#ここから割り注]訳者注 海の女神[#ここで割り注終わり])の婚礼、薔薇色《ばらいろ》の雲、髪を結わえた素裸の水の精ども、女神に四行詩をささげるアカデミー会員、海の怪物に引かれた馬車。
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トリトン([#ここから割り注]海の神[#ここで割り注終わり])は先に駆けりつ、法螺《ほら》の貝もて
人皆を歓喜せしむる楽を奏しぬ。
[#ここで字下げ終わり]
これが儀式の目録だ、目録の一つだ。さもなくばわしはもう何にも知らん、断じて!」
祖父が叙情詩熱に浮かされて、自ら自分の言葉に耳を傾けてる間に、コゼットとマリユスとは自由に顔を見合わして恍惚《こうこつ》としていた。
ジルノマン伯母《おば》はいつもの平然たる落ち着きでそれらのことをながめていた。彼女は五、六カ月以来、ある程度までの感動を受けた。マリユスが戻ってきたこと、血にまみれて運ばれてきたこと、防寨《ぼうさい》から運ばれてきたこと、死にかかっていたが次に生き返ったこと、祖父と和解したこと、婚約したこと、貧乏な女と結婚すること、分限者の女と結婚すること。六十万フランは彼女の最後の驚きだった。それから最初の聖体拝領の時のような無関心さがまた戻ってきた。彼女は欠かさず教会堂の祭式に列し、大念珠をつまぐり、祈祷書《きとうしょ》を読み、家の片すみで人々がわれ汝を愛す[#「われ汝を愛す」に傍点]をささやいてる間に、他の片すみでアヴェ[#「アヴェ」に傍点]・マリア[#「マリア」に傍点]をささやき、そしてマリユスとコゼットとを漠然《ばくぜん》と二つの影のようにながめていた。しかし実際彼女の方が影の身であった。
ある惰性的な苦行の状態があるもので、その時人の魂は麻痺《まひ》して中性となり、世話事とも言い得るすべてのことに無関心となり、地震や大変災などを除いては、何事にも何ら人間らしい感銘を受くることなく、何ら楽しい感銘をも苦しい感銘をも受くることがなくなる。ジルノルマン老人は娘にこう言った。「そういう帰依の状態は、鼻感冒《はなかぜ》と同じものだ。お前は人間のにおいを少しも感じない。悪いにおいも良いにおいも感じない。」
その上、六十万フランの金は、どうでもいいという気を老嬢に起こさした。父はいつも彼女をあまり眼中においていなかったので、マリユスの結婚承諾についても彼女に相談をしなかった。例のとおり熱狂的な行動を取り、奴隷となった専制者の態度で、ただマリユスを満足させようという一つの考えしか持っていなかった。伯母については、伯母が実際そこにいるかどうか、伯母が何かの意見を持ってるかどうか、それを彼は考えてもみなかった。彼女はきわめて温順ではあったが、そのために多少気を悪くした。そして内心では少し不満を覚えながら、表面は冷然として、自ら言った。「父はひとりで結婚問題をきめてしまったのだから、私もひとりで遺産の問題をきめてしまおう。」実際彼女は財産を持っていたが、父は財産を持たなかった。それで彼女は、そこに自分の決心をおいていた。結婚するふたりが貧乏だったら貧乏のままにしておいてやれ、甥《おい》にはお気の毒様だ、一文なしの女を娶《めと》るなら彼も一文なしになるがいい。ところがコゼットの持っている百万の半ば以上の金は、伯母《おば》の気に入った、ふたりの恋人に対する心持ちを変えさした。六十万と言えば尊敬に価するものである。そして明らかに彼女は、若いふたりにもう金の必要がなくなった以上、彼らに自分の財産を与えてやるよりほかにしようがなくなったのである。
新夫婦は祖父の所に住むことに話がまとまっていた。ジルノルマン氏は家で一番美しい自分の室《へや》を是非とも彼らに与えようと思っていた。彼はこう言った。「それでわしも若返る[#「それでわしも若返る」に傍点]。元から考えていたことだ[#「元から考えていたことだ」に傍点]。わしはいつも自分の室で結婚式を行ないたいと思っていたんだ[#「わしはいつも自分の室で結婚式を行ないたいと思っていたんだ」に傍点]。」彼はその室に、優美な古い珍品をやたらに備えつけた。また天井と壁には大変な織物を張らせた。それは彼が一機《ひとかま》そっくり持っていて、ユトレヒト製だと思ってるもので、毛莨色《きんぽうげいろ》の繻子《しゅす》のような地質に蓮馨花色《さくらそういろ》のビロードのような花がついていた。彼は言った。「ローシュ・ギヨンでアンヴィル公爵夫人の寝台の帷《とばり》となっていたのも、これと同じ織物だ。」また彼は暖炉棚《だんろだな》の上に、裸の腹にマッフをかかえてるサクソニー製の人形を一つ据えた。
ジルノルマン氏の図書室は弁護士事務室となった。読者の記憶するとおり、弁護士たる者は組合評議員会の要求によって事務室を一つ持っていなければならなかったので、マリユスにもその必要があったのである。
七 幸福のさなかに浮かびくる幻
ふたりの恋人は毎日顔を合わしていた。コゼットはいつもフォーシュルヴァン氏と共にやってきた。ジルノルマン嬢は言った。「こんなふうに嫁さんの方からきげんを取られに男の家へやって来るのは、まるでさかさまだ。」けれどもマリユスはまだ回復期にあったし、フィーユ・デュ・カルヴェール街の肱掛《ひじか》け椅子《いす》はオンム・アルメ街の藁椅子《わらいす》よりもふたりの差し向かいに好都合だったので、自然とコゼットの方からやって来る習慣になったのである。マリユスとフォーシュルヴァン氏とは絶えず会っていたが、話をし合うことはあまりなかった。自然とそういうふうに黙契ができたかのようだった。娘にはすべて介添えがいるものである。コゼットはフォーシュルヴァン氏といっしょでなければやってこられなかったろう。しかしマリユスにとっては、コゼットあってのフォーシュルヴァン氏であった。彼はフォーシュルヴァン氏をとにかく迎えていた。かくて彼らは、万人の運命を一般に改善するという見地から政治上の事柄を、微細にわたることなく漠然《ばくぜん》と話題に上せて、しかりもしくは否というよりも多少多くの口をきき合うこともあった。一度マリユスは、教育というものは無料の義務的なものになして、あらゆる形式の下に増加し、空気や太陽のように万人に惜しまず与え、一言にして言えば、民衆全体が自由に吸入し得らるるようにしなければいけないという、平素の持論を持ち出したが、その時ふたりはまったく意見が合って、ほとんど談話とも言えるくらい口をきき合った。そしてフォーシュルヴァン氏がよく語りしかもある程度まで高尚な言葉を使うのを、マリユスは認めた。けれども何かが欠けていた。フォーシュルヴァン氏には普通の人よりも、何かが足りなくまた何かが多すぎていた。
マリユスは頭の奥でひそかに、自分に向かっては単に親切で冷然たるのみのフォーシュルヴァン氏に対して、あらゆる疑問をかけてみた。時とすると、自分の思い出にさえ疑いをかけてみた。彼の記憶には、一つの穴、暗い一点、四カ月間の瀕死《ひんし》の苦しみによって掘られた深淵《しんえん》が、できていた。多くのことがその中に落ち込んでいた。そのために、かくまじめな落ち着いた人物であるフォーシュルヴァン氏を防寨《ぼうさい》の中で見たというのは、果たして事実だったろうかと自ら疑ってみた。
もとより、過去の明滅する幻が彼の脳裏に残したものは、単なる惘然《ぼうぜん》さのみではなかった。幸福中にもまた満足中にも人をして沈鬱《ちんうつ》に後方をふり返り見させる記憶の纒綿《てんめん》から、彼が免れていたと思ってはいけない。消えうせた地平線の方をふり返り見ない頭には、思想もなければ愛もないものである。時々マリユスは両手で頭をおおった。そして騒然たるおぼろな過去が、彼の脳裏の薄ら明りの中を過《よ》ぎっていった。彼はマブーフが倒れる所を再び見、霰
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