ならないでくれ、頼むから。」
コゼットとマリユスとは、にわかに墳墓から楽園に移ったがようだった。その変化はあまりに意外だったので、ふたりはたとい目が眩《くら》みはしなかったとするもまったく惘然《ぼうぜん》としてしまった。
「どうしてだかお前にわかる?」とマリユスはコゼットに言った。
「いいえ。」とコゼットは答えた。「ただ神様が私たちを見てて下さるような気がするの。」
ジャン・ヴァルジャンはすべてのことをなし、すべてを平らにし、すべてを和らげ、すべてを容易ならしめた。彼はコゼット自身と同じくらい熱心に、また表面上いかにもうれしそうに、彼女の幸福を早めようとした。
彼は市長をしていたことがあるので、コゼットの戸籍という彼ひとりが秘密を握ってる困難な問題をも、よく解決することができた。その身元を露骨に打ち明けたら、あるいは結婚が破れるかも知れなかった。彼はあらゆる困難をコゼットに免れさした。彼女のために死に絶えた一家をこしらえてやった。それはいかなる故障をも招かない安全な方法だった。コゼットは死に絶えた一家のただひとりの末裔《まつえい》となり、彼の娘ではなくて、もひとりのフォーシュルヴァンの娘となった。ふたりのフォーシュルヴァン兄弟はプティー・ピクプュスの修道院で庭番をしていたことがあるので、そこに聞き合わされた。よい消息やりっぱな証明はたくさんあった。善良な修道女らは、身元なんかの問題はよく知りもせずあまり注意してもいなかったし、また不正なことがされてようとも思っていなかったので、小さなコゼットはふたりのフォーシュルヴァンのどちらの娘であるかを本当に知ってはいなかった。彼女らは望まれるままの口をきき、しかも心からそう述べ立てた。身元証明書はすぐにでき上がった。コゼットは法律上ウューフラジー・フォーシュルヴァン嬢となった。彼女は両親ともにない孤児と確認された。ジャン・ヴァルジャンはうまく取り計らって、フォーシュルヴァンという名の下にコゼットの後見人と定められ、またジルノルマン氏は後見監督人と定められた。
五十八万四千フランは、名を明かすことを欲しなかった今は亡《な》くなってるある人から、コゼットへ遺贈されたものとなった。その遺産は初め五十九万四千フランだったが、内一万フランはウューフラジー嬢の教育費に使われ、その内五千フランは修道院に支払われたものだった。その遺産は第三者の手に保管され、コゼットが丁年に達するか結婚するかする時彼女に渡されることになっていた。それらのことは、読者の見るとおりいかにももっともなことであって、特に百万の半ば以上という金がついておればなおさらだった。もとよりいぶかしい点も所々ないではなかったが、人々はそれに気づかなかった。当事者のひとりは愛に目がおおわれていたし、他の人たちは六十万フランに目がおおわれていた。
コゼットは自分が長く父と呼び続けていた老人の娘でないことを聞かされた。彼はただ親戚であって、もひとりのフォーシュルヴァンという人が本当の父であった。他の時だったらそのことは彼女の心を痛ませたろう。しかし今は得も言えぬ楽しい時だったので、それはただわずかな影であり一時の曇りにすぎなかった。彼女はまったく喜びに満たされていたので、その雲も長く続かなかった。彼女はマリユスを持っていた。青年がきて、老人は姿を消した。人生はそうしたものである。
それにまた、コゼットは長年の間、自分の周囲に謎のようなことを見るになれていた。不可思議な幼年時代を経てきた者は皆、いつもある種のあきらめをしやすいものである。
それでも彼女は続けてジャン・ヴァルジャンを父と呼んでいた。
心も空に喜んでいるコゼットは、ジルノルマン老人にも深く感謝していた。実際老人はやたらに愛撫《あいぶ》の言葉や贈り物を彼女に浴びせかけた。ジャン・ヴァルジャンが彼女のために、社会における正当な地位と適当な身元とを作ってやってる間に、ジルノルマン氏は結婚の贈り物に腐心していた。壮麗であることほど彼を喜ばせるものはなかった。祖母から伝えられてるバンシュ製レースの長衣をもコゼットに与えた。彼は言った。「こういう物もまた生き返ってくる。古い物も喜ばれて、わしの晩年の若い娘がわしの幼年時代の婆さんのような服装をするんだ。」
中ぶくれのりっぱなコロマンデル製の漆戸棚《うるしとだな》をも彼は開放してしまった。それはもう長年の間開かれたことのないものだった。彼は言った。「この婆さんたちにもひとつ懺悔《ざんげ》をさしてやれ。腹に何をしまってるか見てやろう。」そして彼は自分の幾人もの妻や情婦やお婆さんたちの用具がいっぱいつまってる引き出しの中を、大騒ぎでかき回した。南京繻子《なんきんじゅす》、緞子《どんす》、模様絹、友禅絹、トゥール製の炎模様粗絹の長衣、洗たくにたえる金縁の印度ハンカチ、織り上げたばかりで鋏《はさみ》のはいっていない裏表なしの花模様絹、ゼノアやアランソン製の刺繍《ししゅう》、古い金銀細工の装飾品、微細な戦争模様のついてる象牙の菓子箱、装飾布、リボン、それらをすべて彼はコゼットに与えた。コゼットはマリユスに対する愛に酔いジルノルマン氏に対する感謝の念にいっぱいになって、心の置き所も知らず、繻子とビロードとをまとった限りない幸福を夢みていた。結婚の贈物が天使からささげられてるような気がした。彼女の魂はマリーヌのレースの翼をつけて蒼空《そうくう》のうちに舞い上がっていた。
ふたりの恋人の恍惚《こうこつ》の情におよぶものは、前に言ったとおり、ただ祖父の歓喜あるのみだった。かくてフィーユ・デュ・カルヴェール街には楽隊の響きが起こったかのようだった。
祖父は毎朝コゼットへ何かの古物《こぶつ》を必ず贈った。あらゆる衣裳が彼女のまわりに燦爛《さんらん》と花を開いた。
マリユスは幸福のうちにも好んでまじめな話をしていたが、ある日、何かのことについてこう言った。
「革命の人々は実に偉大です。カトーやフォキオン([#ここから割り注]訳者注 ローマおよびアテネの大人物[#ここで割り注終わり])のように数世紀にわたる魅力を持っていて、各人がそれぞれ古代の記念のようです。」
「古代の絹!」と老人は叫んだ。「ありがとう、マリユス。ちょうどわしもそういう考えをさがしてるところだった。」
そして翌日、茶色の観世模様古代絹のみごとな長衣がコゼットの結婚贈り物に加えられた。
祖父はそれらの衣裳から一つの哲理を引き出した。
「恋愛は結構だ。だが添え物がなくてはいかん。幸福のうちにも無用なものがなくてはいかん。幸福そのものは必要品にすぎない。だから大いにむだなもので味をつけるんだ。宮殿と心だ。心とルーヴル美術館だ。心とヴェルサイユの大噴水だ。羊飼い女にも公爵夫人のような様子をさせることだ。矢車草を頭にいただいてるフィリスにも十万フランの年金をつけることだ。大理石の柱廊の下に目の届く限り田舎景色《いなかげしき》をひろげることだ。田舎景色もいいし、また大理石と黄金との美観もいい。幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするがごちそうにはならない。むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ。わしはストラスブールグの大会堂で見た時計を覚えている。それは四階建ての家ほどある大きな時計で、時間を教えてもいたが、親切にも時間を教えてはいたが、そのためにばかり作られたものではなさそうだった。正午やま夜中や、太陽の時間である昼の十二時や、恋愛の時間である夜の十二時や、そのほかあらゆる時間を報じたあとで、種々なものを出してみせた。月と星、陸と海、小鳥と魚、フォイボスとフォイベ([#ここから割り注]訳者注 太陽の神と月の神[#ここで割り注終わり])、また壁龕《へきがん》から出て来るたくさんのもの、十二使徒、皇帝カルル五世、エポニーネとサビヌス([#ここから割り注]訳者注 ローマ人の覊絆からゴール族を脱せしめんと企てた勇士夫婦[#ここで割り注終わり])、その上になお、ラッパを吹いてる金色の子供もたくさんいた。そのたびごとになぜともなく空中に響き渡らせる楽しい鐘の音は、言うまでもないことだ。ただ時間だけを告げる素裸のみじめな時計が、それと肩を並べることができようかね。わしはな、ストラスブールグの大時計の味方だ。シュワルツワルト([#ここから割り注]黒森山[#ここで割り注終わり])の杜鵑《ほととぎす》の声を出すだけの目ざまし時計より、それの方がずっとよい。」
ジルノルマン氏は特に、結婚式のことについて屁理屈《へりくつ》を並べていた。彼の賛辞のうちには十八世紀の事柄がやたらにはいってきた。
「お前たちは儀式の方法を心得ていない。近ごろの者は喜びの日をどうしていいかよく知らないのだ。」と彼は叫んだ。「お前たちの十九世紀は柔弱だ。過分ということがない。金持ちをも知らなければ、貴族をも知らない、何事にもいがぐり頭だ。お前たちのいわゆる第三階級というものは、無味、無色、無臭、無形だ。家を構える中流市民階級の夢想は、自分で高言してるように、新しく飾られた紫檀《したん》や更紗《さらさ》のちょっとした化粧部屋にすぎない。さあお並び下さい、しまりやさんがけちけち嬢さんと結婚致します、といったような具合だ。そのぜいたくや華美としては、ルイ金貨を一つ蝋燭《ろうそく》にはりつけるくらいのものだ。十九世紀とはそんな時代なんだ。わしはバルチック海の向こうまでも逃げてゆきたいほどだ。わしは既に一七八七年から、何もかもだめになったと予言しておいた。ローアン公爵やレオン大侯やシャボー公爵やモンバゾン公爵やスービーズ侯爵や顧問官トゥーアル子爵が、がた馬車に乗ってロンシャンの競馬場に行くのを見た時からだ。ところが果たしてそれは実《み》を結んだ。この世紀ではだれでも皆、商売をし、相場をし、金を儲《もう》け、そしてしみったれてる。表面だけを注意して塗り立ててる。おめかしをし、洗い立て、石鹸《せっけん》をつけ、拭《ぬぐ》いをかけ、髯《ひげ》を剃《そ》り髪を梳《す》き、靴墨《くつずみ》をつけ、てかてかさし、みがき上げ、刷毛《はけ》をかけ、外部だけきれいにし、一点のほこりもつけず、小石のように光らし、用心深く、身ぎれいにしてるが、一方では情婦《いろおんな》をこしらえて、手鼻をかむ馬方でさえ眉を顰《しか》むるような、肥料溜《こえだめ》や塵溜《ちりだめ》を心の底に持っている。わしは今の時代に、不潔な清潔という題辞を与えてやりたい。なにマリユス、怒ってはいけないよ。わしに少し言わしてくれ。別に民衆の悪口を言うんじゃない。お前のいわゆる民衆のことなら十分感心してるのだが、中流市民を少しばかりたたきつけてやるのはかまわんだろう。もちろんわしもそのひとりだ。よく愛する者はよく鞭《むち》うつ。そこでわしはきっぱりと言ってやる。今日では、人は結婚をするが結婚の仕方を知らない。まったくわしは昔の風習の美しさが惜しまれる。すべてが惜しまれる。その優美さ、仁侠《にんきょう》さ、礼儀正しい細やかなやり方、いずれにも見らるる愉快なぜいたくさ、すなわち、上は交響曲から下は太鼓に至るまで婚礼の一部となっていた音楽、舞踊、食卓の楽しい顔、穿《うが》ちすぎた恋歌、小唄《こうた》、花火、打ち解けた談笑、冗談や大騒ぎ、リボンの大きな結び目。それから新婦の靴下留《くつしたど》めも惜しまれる。新婦の靴下留めは、ヴィーナスの帯と従姉妹同士《いとこどうし》だ。トロイ戦争は何から起こったか? ヘレネの靴下留めからではないか。なぜ人々は戦ったか、なぜ神のようなディオメーデはメリオネスが頭にいただいてる十本の角のある青銅の大きな兜《かぶと》を打ち砕いたか、なぜアキレウスとヘクトルとは槍《やり》で突き合ったか? それも皆ヘレネが靴下留めにパリスの手を触れさしたからではないか。コゼットの靴下留めからホメロスはイリアードをこしらえるだろう。その詩の中にわしのような饒舌《じょうぜつ》な老人を入れて、それをネストルと名づけるだろう
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