えないものであった。もとより彼は、一旦退却し、戦略を改め、陣を撤し、方向を変えなければならなかった。けれども、大事な点はまだ先方に知られていないし、ポケットには五百フランせしめていた。その上、いざとなれば言うべきことも持っていたので、深い知識といい武器とをそなえてるポンメルシー男爵に対してもなお、自分の方に強味があると感じていた。テナルディエのような者にとっては、一々の会話が皆戦闘である。さて今始めんとする戦闘においては、彼の地位はどういうものであったか? 彼は相手がいかなる人物であるかを知らなかった、しかし問題がいかなるものであるかを知っていた。彼はすみやかに、自分の武力を心の中で調べてみて、「私はテナルディエです[#「私はテナルディエです」に傍点]」と言った後、先方の様子を待ってみた。
 マリユスは考えに沈んでいた。彼はついにテナルディエを捕《つかま》えたのである。あれほど見つけ出したいと思っていた男が、今目の前にいるのだった。彼はポンメルシー大佐の要求を果たすことができるのだった。あの英雄がこの悪漢に多少なりとも恩を受けていること、墓の底から父が彼マリユスに向かって振り出した手形
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