少しく下げる必要を感じた。
「閣下、一万フラン下されば申し上げましょう。」
「繰り返して言うが、君は僕に何も教えるものはないはずです。君が話そうという事柄を僕は皆知っています。」
 男の目には新しいひらめきが浮かんだ。彼は声を高めた。
「それでも私は今日の食を得なければなりません。まったくそれは非常な秘密です。閣下、お話しいたしましょう。お話しいたしましょう。二十フラン恵んで下さい。」
 マリユスは彼をじっと見つめた。
「僕も君の非常な秘密を知っています。ジャン・ヴァルジャンの名前を知ってると同様に、君の名前も知っています。」
「私の名前を?」
「そうです。」
「それはわけもないことでしょう、閣下。私はそれを手紙に書いて差し上げましたし、また自分で申し上げました、テナルと。」
「ディエ。」
「へえ!」
「テナルディエ。」
「それはだれのことでございますか。」
 危険になると、豪猪《やまあらし》は毛を逆立て、甲虫《かぶとむし》は死んだまねをし、昔の近衛兵は方陣を作るが、この男は笑い出した。
 それから彼は上衣の袖《そで》を指で弾《はじ》いてほこりを払った。
 マリユスは続けて言った。

前へ 次へ
全618ページ中569ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング