派の謹厳なる学者[#ここで割り注終わり])のようになろうということだ。そしてお前たちは、そういう威容をばかり保ってついにどうなるか知ってるのか。ただ矮小《わいしょう》になるばかりだ。よく覚えておくがいい、快活は単に愉快であるばかりでなく、また偉大である。だから快活に恋をするがいい。結婚するなら、熱情と無我夢中と大騒ぎと混沌たる幸福とをもって結婚するがいい。教会堂でしかつめらしくしてるのもよいが、弥撒《みさ》がすんだら、新婦のまわりに夢の渦巻《うずま》きを起こさしてやるがいい。結婚は堂々としていてしかも放恣《ほうし》でなくちゃいかん。ランスの大会堂からシャントルーの堂まで練り歩かなくちゃいかん。元気のない婚礼は思ってもいやだ。少なくともその当日だけは、オリンポスの殿堂にはいった気でなくてはね。神々になった気でなくてはね。ああみんなして、空気の精や遊びの神や笑いの神や銀楯の精兵などになるがいい。小鬼になるがいい。結婚したての者は皆アルドブランディニ侯([#ここから割り注]訳者注 十七世紀の初めに見いだされた華麗な結婚図の古い壁画の主人公[#ここで割り注終わり])のようでなくちゃいけない。生
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