一種の壮烈さによってその恐ろしさを贖《あがな》われることがある。火刑や難破のおりなどには、人は偉大となることがある。炎や白波の中においては、崇高な態度も取られる。そこでは滅没しながら偉大な姿と変わる。しかし下水の中ではそうはゆかない。その死は醜悪である。そこで死ぬのは屈辱である。最後に目に浮かぶものは汚穢である。泥土は不名誉と同意義の言葉である。それは小さく醜くまた賤《いや》しい。クレランス([#ここから割り注]訳者注 イギリスのエドワード四世の弟で、王に背いた後死刑に処せられた時、自ら葡萄酒の樽の中の溺死の刑を求めたと伝えられている[#ここで割り注終わり])のように芳香|葡萄酒《ぶどうしゅ》の樽《たる》の中で死ぬのはまだいいが、エスクーブロー([#ここから割り注]訳者注 本章末節参照[#ここで割り注終わり])のように溝浚人《どぶさらいにん》の墓穴の中で死ぬのはたまらない。その中でもがくのは醜悪のきわみである。死の苦しみをしながら泥水中《でいすいちゅう》を歩くのである。地獄と言ってもいいほどの暗黒があり、泥穴と言ってもいいほどの泥濘《でいねい》があって、その中に死んでゆく者は、果たして
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