が、所々についている。
いにしえのパリーにおいては、下水道の中にあらゆる疲憊《ひはい》とあらゆる企図とが落ち合っていた。社会経済学はそこに一つの残滓《ざんさい》を見、社会哲学はそこに一つの糟粕《そうはく》を見る。
下水道は都市の本心である。すべてがそこに集中し互いに面を合わせる。その青ざめたる場所には、暗闇《くらやみ》はあるが、もはや秘密は存しない。事物は各、その真の形体を保っている、もしくは少なくともその最後の形体を保っている。不潔の堆積なるがゆえに、その長所として決して他を欺かない。率直がそこに逃げ込んでるのである。バジル([#ここから割り注]訳者注 ボーマルシェーの戯曲「セヴィールの理髪師」中の人物にて滑稽なる偽善者の典型[#ここで割り注終わり])の仮面はそこにあるが、しかしその厚紙も糸もそのままに見え、外面とともに内面も見えていて、正直なる泥土《でいど》が看板となっている。その隣には、スカパン([#ここから割り注]訳者注 モリエールの戯曲「スカパンの欺罔」中の人物にて巧妙快活なる欺罔者の典型[#ここで割り注終わり])の作り鼻がある。文明のあらゆる不作法は、一度その役目を終わ
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