》を事とする。策の施しようはない。
それに対しては何も言うことはない。恒星のごとき民衆にも時におのれを蝕《しょく》するの権利がある。ただ、光が再び現われさえすれば、日蝕が暗夜に終わりさえしなければ、すべてかまわない。曙《あけぼの》と再生とは同意義である。光の再現は自我の存続と同一である。
これらの事実をそのまま認定しようではないか。防寨《ぼうさい》の上に死するも、もしくは亡命のうちに倒るるも、それは時の事情による一つの献身として是認さるる。献身の真の名は、公平無私ということである。見捨てらるる者らをして見捨てられしめよ、国を追わるる者らをして追われしめよ。吾人はただ、偉大なる民衆が退く時には、その後退のあまりに大ならざらんことを希望するに止めよう。再び理性に返り得るというのを口実にしてあまりに深く下降してはいけない。
物質は存在し、一時は存在し、利益は存在し、腹は存在する。しかし腹が唯一の英知であってはいけない。一時の生命もその権利を持っている、吾人はそれを是認する。しかし恒久の生命もまたその権利を持っている。ただ悲しいかな、高く上っていてもなお墜落することがある。その事実は史上
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