かってある時言った。しかしそれは進歩と神とを混同し、運動の中絶をもって運動者の死と見做《みな》しての言である。
 絶望する者は誤っている。進歩は必ず目をさます。また進歩は結局眠りながらも前進したと言ってもいい、なぜなら成長したからである。進歩が再び立ち上がる時、その姿は前よりも高くなっている。常に平静であることは、川自身の関するところでないと同じく、進歩自身の関するところではない。決して障壁を築くな、決して岩石を投入するな。障害は水を泡立《あわだ》たしめ、人類を沸騰せしむる。そこに混乱が生ずる。しかしその混乱の後にも多少前進したことが認められる。一般的平和にほかならない秩序が立てられるまでは、調和と統一とが君臨するまでは、進歩はその道程中に革命を持つであろう。
 しからば進歩[#「進歩」に傍点]とは何であるか? それは上に言ったとおりである。民衆の恒久なる生命である。
 しかるに、個人の一時的生命が人類の永遠なる生命に相反することが、時として起こってくる。
 吾人はかく高言することができる。個人は一定の利益を有しており、条件を付してそれを譲り得るものである。現在は宥《ゆる》し得べき程度
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