ニョンの家にいた当時はきれいで、ジルノルマン氏に対する広告とされていたその着物も、今ではぼろとなっていた。
その後彼らは、「宿無し児」という統計のうちにはいることとなり、パリーの街路の上で、警察から調べられ捨てられまた見つけられるというような身の上になっていた。
そのみじめな子供らがリュクサンブールの園の中にいたのも、かかる騒乱の日のおかげだった。もし番人らに見つかったら、ぼろ着物の彼らは追い出されたに違いない。貧しい子供は公の園囿《えんゆう》にははいることを許されていない。けれども、子供として彼らは花に対する権利を持っていることを、人はまず考うべきではないだろうか。
ふたりの子供は、鉄門がしめられていたためそこにいることができた。彼らは規則を犯していた。園の中に忍び込みそこに止まっていた。鉄門が閉じたとて番人がいなくなるわけではなく、なお見張りは続けられているはずであるが、しかしおのずから気がゆるんで怠りがちになるものである。それに番人らもまた世間の騒ぎに心をひかれ、園の中よりも外の方に気を取られて、もう内部に注意していなかったので、従って二人の違犯者がいることにも気づかなかっ
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