の面倒をきたすものである。そして二月十六日まででなければすっかり準備ができ上がらなかった。
しかるに、われわれはただ正確を期するためにこの一事を言うのであるが、十六日はちょうど謝肉祭末日の火曜日だった。それで人々はいろいろ躊躇《ちゅうちょ》したり気にかけたりし、ことにジルノルマン伯母《おば》はひどく心配した。
「謝肉祭末日なら結構だ。」と祖父は叫んだ。「こういう諺《ことわざ》がある。
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謝肉祭末日の結婚ならば
謝恩を知らぬ子供はできない。
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是非ともやろう。十六日にきめよう。マリユス、お前は延ばしたいか。」
「いいえ、ちっとも。」と恋人は答えた。
「ではその日が結婚だ。」と祖父は言った。
それで、世間のにぎわいをよそにして、十六日に結婚式があげられた。その日は雨が降った。けれども、たとい他の者は皆|雨傘《あまがさ》の下にいようとも、恋人らがながめる幸福の蒼天《そうてん》は、常に空の片すみに残ってるものである。
その前日、ジャン・ヴァルジャンはジルノルマン氏の面前で、五十八万四千フランをマリユスに渡した。
結婚は夫婦財産共有法によってなされたので、契約書は簡単だった。
トゥーサンはジャン・ヴァルジャンに不用となったので、コゼットが彼女を引き取って、小間使いの格に昇進さした。
ジャン・ヴァルジャンの方は、ジルノルマン家のうちに特に彼のために設けられたきれいな室《へや》を提供された。そして、「お父様《とうさま》、どうかお願いですから、」とコゼットが切に勧めるので、彼も仕方なしに、その室に住もうというおおよその約束をした。
結婚の定日の数日前、ジャン・ヴァルジャンに一事が起こった。すなわち右手の親指を少し負傷したのである。大した傷ではなかった。そして彼はそれを気にかけたり包帯したりまたは調べてみたりすることをだれにも許さなかった、コゼットにも許さなかった。それでも彼は、その手を布で結わえ、腕を首からつらなければならなかった。そして署名することができなくなった。ジルノルマン氏がコゼットの後見監督人として彼の代わりをした。
われわれは読者を区役所や教会堂まで連れて行くことをよそう。人は通例そこまでふたりの恋人について行くものでなく、儀式が結婚の花束をボタンの穴にさすとすぐ、背を向けて立ち去るものである。だからわれわれはここに一事をしるすに止めよう。その一事は、もとより婚礼の一行からは気づかれなかったことであるが、フィーユ・デュ・カルヴェール街からサン・ポール教会堂までの道程の途中で起こったものである。
当時、サン・ルイ街の北端で舗石《しきいし》の修復がされていて、パルク・ロアイヤル街から先は往来がふさがれていた。それで婚礼の馬車はまっすぐにサン・ポールへ行くことができず、どうしても道筋を変えなければならなかった。一番簡単なのは大通りへ回り道をすることだった。ところがちょうど謝肉祭末日なので大通りには馬車がいっぱいになってるだろうと、客のひとりは注意した。「なぜです?」とジルノルマン氏は尋ねた。「仮装行列があるからです。」すると祖父は言った。「それはおもしろい。そこから行きましょう。この若い者たちは結婚して、これから人生のまじめな方面にはいろうとするんです。仮装会を少し見せるのも何かのためになるでしょう。」
一同は大通りから行くことにした。第一の婚礼馬車には、コゼットとジルノルマン伯母《おば》とジルノルマン氏とジャン・ヴァルジャンとが乗った。マリユスは習慣どおり花嫁と別になって第二の馬車に乗った。婚礼の行列はフィーユ・デュ・カルヴェール街を出るとすぐに、マドレーヌとバスティーユの間を往来してる絶え間のない長い馬車の行列の中にはいり込んだ。
仮装の人々は大通りにいっぱいになっていた。時々雨が降ったけれども、パイヤスやパンタロンやジルなどという道化者らはそれに臆《おく》しもしなかった。その一八三三年の冬の上きげんさのうちにパリーはヴェニスの町のようになっていた。今日ではもうそういう謝肉祭末日は見られない。今日存在しているものは皆広い意味の謝肉祭であって、本当の謝肉祭はもはやなくなっている。
横町は通行人でいっぱいになっており、人家の窓は好奇な者でいっぱいになっていた。劇場の回廊の上にある平屋根には見物人が立ち並んでいた。仮装行列のほかにまた、謝肉祭末日の特徴たるあらゆる馬車の行列が見られた。ちょうどロンシャンにおけるがように、辻馬車《つじばしゃ》、市民馬車、逍遙馬車《しょうようばしゃ》、幌小馬車《ほろこばしゃ》、二輪馬車、などが警察の規則で互いに一定の距離を保ち、あたかもレールにはめ込まれたようにして、整然と進んでいた。それらの馬車の中にある者はだれでも、見物人であると同時に
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