《のどぼとけ》の所まで引き上げた。それは真剣になった様子を充分に示す身振りだった。そして言った。
「だが、つまりお前のやり方は悧巧《りこう》だったかも知れねえ。職人が明日穴でもふさぎに来れば、そこに死人が捨てられてるのをきっと見つける。そうすりゃあ、それからそれと糸をたぐって跡をかぎつけ、お前の身におよんでくる。下水道の中を通った奴《やつ》がいる。それはだれだ、どこから出たんだ、出るのを見た者があるか? なんて警察はなかなか抜け目がねえからな。下水道は裏切って、お前を密告する。死人なんていう拾い物は珍しいし、人の目をひく。だから下水道を仕事に使う奴はあまりいねえ。ところが川とくりゃあ、だれでも使ってる。川はまったく墓場だからな。一月もたってから、サン・クルーの網に死体がひっかかる。そうなりゃあかまったこたあねえ。身体は腐ってらあ。だれがこの男を殺したか、パリーが殺したんだ、てなことになる。警察だってろくに調べやしねえ。つまりお前は上手にやったわけだ。」
テナルディエがしゃべればしゃべるほど、ジャン・ヴァルジャンはますます黙り込んだ。テナルディエはまた彼の肩を押し動かした。
「さあ用事をすまそう。二つに分けるんだ。お前は俺《おれ》の鍵《かぎ》を見たんだから、俺にも一つお前の金を見せなよ。」
テナルディエは荒々しく、獰猛《どうもう》で、胸に一物あるらしく、多少|威嚇《いかく》するようなふうだったが、それでもごくなれなれしそうだった。
不思議なことが一つあった。テナルディエの態度は単純ではなかった。まったく落ち着いてるような様子はなかった。平気なふうを装いながら、声を低めていた。時々口に指をあてては、しッ! とつぶやいた。その理由はどうも察し難かった。そこには彼らふたりのほかだれもいなかった。おそらく他に悪党どもがどこかあまり遠くない片すみに潜んでいて、テナルディエはそれらと仕事を分かちたくないと思ってるのだと、ジャン・ヴァルジャンは考えた。
テナルディエは言った。
「話を片づけてしまおう。そいつは懐中にいくら持っていたんだ?」
ジャン・ヴァルジャンは身体中方々さがした。
読者の記憶するとおり、いつも金を身につけてるのは彼の習慣だった。臨機の策を講じなければならない陰惨な生活に定められてる彼は、金を用意しておくのを常則としていた。ところがこんどに限って無一物だった。前日の晩、国民兵の服をつけるとき、悲しい思いに沈み込んでいたので、紙入れを持つのを忘れてしまった。彼はただチョッキの隠しにわずかな貨幣を持ってるだけだった。全部で三十フランばかりだった。彼は汚水に浸ったポケットを裏返して、底部の段の上に、ルイ金貨一個と五フラン銀貨二個と大きな銅貨を五、六個並べた。
テナルディエは妙に首をひねりながら下脣《したくちびる》をつき出した。
「安っぽくやっつけたもんだな。」と彼は言った。
彼はごくなれなれしく、ジャン・ヴァルジャンとマリユスとのポケットに一々さわってみた。ジャン・ヴァルジャンは特に光の方に背を向けることばかりに気を使っていたので、彼のなすままに任した。テナルディエはマリユスの上衣を扱ってる間に、手品師のような敏捷《びんしょう》さで、ジャン・ヴァルジャンが気づかぬうちに、その破れた一片を裂き取って、自分の上衣の下に隠した。その一片の布は、他日被害者と加害者とがだれであるかを知る手掛かりになるだろうと、多分考えたのだろう。しかし金の方は、三十フラン以外には少しも見いださなかった。
「なるほど、」と彼は言った、「ふたりでそれだけっきり持たねえんだな。」
そして山分け[#「山分け」に傍点]という約束を忘れて、彼は全部取ってしまった。
大きな銅貨に対しては彼もさすがにちょっと躊躇《ちゅうちょ》した。しかし考えた末それをも奪いながら口の中でつぶやいた。
「かまわねえ、あまり安すぎるからな。」
それがすんで、彼はまた上衣の下から鍵《かぎ》を引き出した。
「さあ、お前は出なけりゃなるめえ。ここは市場のようなもんで出る時に金を払うんだ。お前は金を払ったから、出るがいい。」
そして彼は笑い出した。
彼がそういうふうに、見知らぬ男に鍵を貸してやり、その門から他人を出してやったのは、一殺害人を救ってやろうという純粋無私な考えからであったろうか。それについては疑いを入れる余地がある。
テナルディエはジャン・ヴァルジャンに自ら手伝って再びマリユスを肩にかつがせ、それから、ついて来るように合い図をしながら、跣足《はだし》の爪先でそっと鉄格子《てつごうし》の方へ進み寄り、外をのぞき、指を口にあて、決心のつかないようなふうでしばらくたたずんだ。やがて外の様子をうかがってしまうと、彼は鍵を錠前の中に差し込んだ。閂子《かんぬき》はすべり、扉
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