まで上げて目庇《まびさし》を作り、それから目をまたたきながら眉根《まゆね》を寄せたが、それは口を軽くとがらしたのとともに、相手がだれであるかを見て取ろうとする鋭い注意を示すものだった。しかし彼はそれに成功しなかった。ジャン・ヴァルジャンは前に言ったとおり、光の方に背を向けていたし、またま昼間の光でさえも見分け難いほど泥《どろ》にまみれ血に染まって姿が変わっていた。それに反してテナルディエは、窖《あなぐら》の中のようなほの白い明りではあるがそのほの白さの中にも妙にはっきりしてる鉄格子《てつごうし》から来る光を、まっ正面に受けていたので、通俗な力強い比喩《ひゆ》で言うとおり、すぐにジャン・ヴァルジャンの目の中に飛び込んできたのである。この条件の違いは、今や二つの位置と二人の男との間に行なわれんとする不思議な対決において、確かにジャン・ヴァルジャンの方にある有利さを与えるに足りた。会戦は、覆面をしたジャン・ヴァルジャンと仮面をぬいだテナルディエとの間に行なわれた。
 ジャン・ヴァルジャンはテナルディエが自分を見て取っていないのをすぐに気づいた。
 ふたりはその薄暗い中で、互いに身長をはかり合ってるように、しばらくじろじろながめ合った。テナルディエが先に沈黙を破った。
「お前はどうして出るつもりだ。」
 ジャン・ヴァルジャンは返事をしなかった。
 テナルディエは続けて言った。
「扉《とびら》をこじあけることはできねえ。だがここから出なけりゃならねえんだろう。」
「そのとおりだ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「じゃあ山分けだ。」
「いったい何のことだ?」
「お前はその男をやっつけたんだろう。よろしい。ところで俺《おれ》の方に鍵《かぎ》があるんだ。」
 テナルディエはマリユスをさし示した。彼は続けて言った。
「俺はお前を知らねえ、だが少し手伝おうというんだ。おだやかに話をつけようじゃねえか。」
 ジャン・ヴァルジャンは了解しはじめた。テナルディエは彼を人殺しだと思ってるのだった。テナルディエはまた言った。
「まあ聞けよ、お前はそいつの懐中を見届けずにやっつけたんじゃあるめえ。半分|俺《おれ》によこせ。扉を開いてやらあね。」
 そして穴だらけの上衣の下から大きな鍵《かぎ》を半ば引き出しながら、彼は言い添えた。
「自由な身になる鍵がどんなものか、見てえなら見せてやる。これだ。」
 ジャン・ヴァルジャンは、老コルネイユの用語を借りれば、「唖然《あぜん》とした。」そして眼前のことが果たして現実であるかを疑ったほどである。それは恐ろしい姿で現われてくる天意であり、テナルディエの形となって地から出て来る善良な天使であった。
 テナルディエは上衣の下に隠されてる大きなポケットに手をつき込み、一筋の綱を取り出して、それをジャン・ヴァルジャンに差し出した。
「さあ、」と彼は言った、「おまけにこの綱もつけてやらあな。」
「綱を何にするんだ。」
「石もいるだろうが、それは外にある。こわれ物がいっぱい積んであるんだ。」
「石を何にするんだ。」
「ばかだな。お前はそいつを川に投げ込むつもりだろう。すりゃあ石と綱とがいるじゃねえか。そうしなけりゃ水に浮いちまわあな。」
 ジャン・ヴァルジャンはその綱を取った。だれにでも、そういうふうにただ機械的に物を受け取ることがある。
 テナルディエは突然ある考えが浮かんだかのように指を鳴らした。
「ところで、お前はどうして向こうの泥孔《どろあな》を越してきたんだ。俺《おれ》にはとてもできねえ。ぷー、あまりいいにおいじゃねえな。」
 ちょっと黙った後、彼はまた言い出した。
「俺がいろんなことを聞いてるのに、お前が一向返事もしねえのはもっともだ。予審のいやな十五、六分間の下稽古だからな。それに、口をききさえしなけりゃあ、あまり大きな声を出しゃしねえかという心配もねえわけだからな。だがどっちみち同じことだ。お前の顔もよく見えねえし、お前の名も知らねえからといって、お前がどんな人間でどんなことをするつもりか、俺にわからねえと思っちゃまちがえだぜ。よくわかってらあね。お前はその男をばらして、今どこかに押し込むつもりだろう。お前には川がいるんだ。川ってものはばかなことをすっかり隠してしまうものだからな。困るなら俺が救ってやらあ。正直者の難儀を助けるなあ、ちょうど俺のはまり役だ。」
 ジャン・ヴァルジャンが黙ってるのを彼は一方に承認しながらも、明らかに口をきかせようとつとめていた。彼は横顔でも見ようとするように、相手の肩を押した。そしてやはり中声をしたまま叫んだ。
「泥孔と言やあ、お前はどうかしてるね。なぜあそこにほうり込んでこなかったんだ?」
 ジャン・ヴァルジャンは黙っていた。
 テナルディエは襟飾《えりかざ》りとしてるぼろ布を喉仏
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