身を隠していた。百年前には、夜中短剣がそこから現われてきて人を刺し、また掏摸《すり》は身が危うくなるとそこに潜み込んだ。森に洞穴《どうけつ》のあるごとく、パリーには下水道があった。ゴール語のいわゆるピカルリアという無籍者らは、クール・デ・ミラクル一郭の出城として下水道に居を構え、夕方になると寝所にはいるように、せせら笑った獰猛《どうもう》な様子でモーブュエの大水門の下に戻っていった。
ヴィード・グーセ袋町([#ここから割り注]巾着切袋町[#ここで割り注終わり])やクープ・ゴルジュ街([#ここから割り注]首切り街[#ここで割り注終わり])などを毎日の仕事場としてる者どもが、シュマン・ヴェールの小橋やユルポアの陋屋《ろうおく》を夜の住居とするのは、至って当然なことだった。そのために無数の口碑が伝わっている。あらゆる種類の幽鬼がその長い寂しい地郭に住んでいる。至る所に腐爛《ふらん》と悪気とがある。中にいるヴィヨンと外のラブレーと([#ここから割り注]訳者注 盗賊の仲間にはいったことのある十五世紀の大詩人、および愉快な風刺家であった十六世紀の文豪[#ここで割り注終わり])が互いに話し合う風窓が、所々についている。
いにしえのパリーにおいては、下水道の中にあらゆる疲憊《ひはい》とあらゆる企図とが落ち合っていた。社会経済学はそこに一つの残滓《ざんさい》を見、社会哲学はそこに一つの糟粕《そうはく》を見る。
下水道は都市の本心である。すべてがそこに集中し互いに面を合わせる。その青ざめたる場所には、暗闇《くらやみ》はあるが、もはや秘密は存しない。事物は各、その真の形体を保っている、もしくは少なくともその最後の形体を保っている。不潔の堆積なるがゆえに、その長所として決して他を欺かない。率直がそこに逃げ込んでるのである。バジル([#ここから割り注]訳者注 ボーマルシェーの戯曲「セヴィールの理髪師」中の人物にて滑稽なる偽善者の典型[#ここで割り注終わり])の仮面はそこにあるが、しかしその厚紙も糸もそのままに見え、外面とともに内面も見えていて、正直なる泥土《でいど》が看板となっている。その隣には、スカパン([#ここから割り注]訳者注 モリエールの戯曲「スカパンの欺罔」中の人物にて巧妙快活なる欺罔者の典型[#ここで割り注終わり])の作り鼻がある。文明のあらゆる不作法は、一度その役目を終われば、社会のあらゆるものがすべり込むこの真実の溝《どぶ》の中に落ちてゆき、そこにのみ込まれてしまう。しかしそこでは身を隠しはしない。それらの錯雑は一つの告白である。そこでは、偽りの外見もなく、何らの糊塗《こと》もなく、醜陋《しゅうろう》もそのシャツをぬぎ、まったくの裸となり、幻や蜃気楼《しんきろう》は崩壊し、用を終えしもののすごい顔つきをしながら、もはやただあるがままの姿をしか保たない。現実と堙滅《いんめつ》とのみである。そこでは、壜《びん》の底は泥酔を告白し、籠《かご》の柄は婢僕《ひぼく》の勤めを語る。そこでは、文学上の意見を持っていた林檎《りんご》の種は、再び単なる林檎の種となる。大きな銅貨の面の肖像は素直に緑青《ろくしょう》で蔽われ、カイファスの唾《つば》はフォルスタフの嘔吐物《おうとぶつ》と相会し([#ここから割り注]訳者注 前者はキリストを処刑せしユダヤの司祭、後者はジャンヌ・ダルクに敗られしイギリスの将軍[#ここで割り注終わり])、賭博場から来るルイ金貨は自殺者の紐《ひも》の端が下がってる釘《くぎ》と出会い、青白い胎児はこの前のカルナヴァル祭最終日にオペラ座で踊った金ぴか物に包まれて転々し、人々を裁いた法官帽は賤婦《せんぷ》の裳衣だった腐敗物の傍に沈溺《ちんでき》する。それは友愛以上であり、昵近《じっきん》である。脂粉を塗っていたものもすべて顔を汚す。最後の覆面も引きはがれる。下水道は一つの皮肉家である。それはすべてのことをしゃべる。
不潔なるもののかかる誠実さは、吾人を喜ばせ吾人の心を休める。国家至上の道理、宣誓、政略、人間の裁判、職務上の清廉、地位の威厳、絶対に清い法服、などが装ういかめしい様子を、地上において絶えず見続けてきた後、下水道にはいってそれらのものにふさわしい汚泥《おでい》を見るのは、いささか心を慰むるに足ることである。
それがまた同時に種々のことを教える。さきほど述べたとおり、歴史は下水道を通ってゆく。サン・バルテルミーのごときあらゆる非道は、鋪石《しきいし》の間から一滴一滴とそこにしたたる。公衆の大虐殺は、政治上および宗教上の大殺戮は、この文明の地下道を通って、そこに死骸《しがい》を投げ込んでゆく。夢想家の目より見れば、史上のあらゆる虐殺者らがそこにいて、恐ろしい薄暗がりの中に膝《ひざ》をかがめ、経帷子《きょうかたびら》の一片を前
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