しょに並ぶというだけである。そして新来の者は皆一つのわずらいとなってくる。もう他人を入れる余地はない。日常の習慣がすっかりでき上がっている。ジルノルマン老人には、フォーシュルヴァン氏とかトランシュルヴァン氏とかいう「そんな人」はこない方がよかったのである。彼は言い添えた。「ああいう変わり者は何をするかわかったものではない。ずいぶん奇抜なことをやる。と言ってその理由は何もない。カナプル侯爵はもっとひどかった。りっぱな邸宅を買い入れて、自分はその物置きに住んでいた。ああいう人たちは表面《うわべ》だけ変なことをしてみたがるものだ。」
 だれもその凄惨《せいさん》な裏面には気づく者はなかった。第一どうしてそんなことが推察し得られたろう? 印度にはそういう沼がいくらもある。異様な不思議な水がたたえていて、風もないのに波を立て、静穏であるべきなのが荒れている。人はただその理由もない混乱の表面だけをながめる。そして底に水蛇《みずへび》がのたうっていることを気づかない。
 多くの人もそういう秘密な怪物を持っている、心中にいだいている苦悩を、身を噛《か》む竜《りゅう》を、内心の闇《やみ》の中に住む絶望を。かかる人も普通の者と同じようにして暮らしている。彼のうちに無数の歯を持ってる恐ろしい苦悶が寄生し、みじめなる彼のうちに生活し、彼の生命を奪いつつあることは、だれからも知られない。その男が一つの深淵《しんえん》であることは、だれからも知られない。その淵《ふち》の水は停滞しているが、きわめて深い。時々、理由のわからぬ波が表面に現われてくる。不思議なうねりができ、次に消えうせ、次にまた現われる。底から泡《あわ》が立ちのぼってきては、消えてゆく。何でもないことのようであるが、実は恐ろしいことである。それは人に知られぬ獣の吐く息である。
 ある種の妙な習慣、たとえば、他の人が帰る頃にやってくるとか、他の人が前に出てる間うしろに隠れてるとか、壁色のマントをつけるとでも言い得るような態度をあらゆる場合に取るとか、寂しい道を選ぶとか、人のいない街路を好むとか、少しも会話の仲間入りをしないとか、人込みやにぎわいを避けるとか、のんきそうにして貧乏な暮らしをするとか、金があるのにいつも鍵《かぎ》をポケットに入れ蝋燭《ろうそく》を門番の所に預けておくとか、潜門《くぐりもん》から出入りするとか、裏の階段から上
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