チて、多少の青空を認めさせる助けとなった。何の変事も起こらず無事にプリューメ街を去ったのは、既に幸先《さいさき》のいい一歩だった。これからたとい数カ月でも国を去ってロンドンに行くことは、おそらく賢いやり方に違いない。皆で行ってしまおう。フランスにいることもイギリスにいることも、傍《そば》にコゼットさえいてくれれば結局同じだった。コゼットのみが彼の故国だった。コゼットさえあれば彼は十分幸福だった。そして、コゼットにとっては自分がいるだけではおそらく十分の幸福とはなり得まいという考え、前に彼の煩悶《はんもん》の種となり不眠の種となった考えも、今は彼の頭に浮かんでこなかった。彼はあらゆる過去の苦悶から解脱して、深い楽観のうちにはいっていた。コゼットは自分の傍にいるからまったく自分のものであるような気がしていた。そういう気持ちはだれでも経験する一種の幻覚である。彼は種々楽しい考えにふけりながら心のうちで、コゼットを連れてイギリスへ行く計画をめぐらした。そしてどこということもなく自分の夢想のうちに、幸福の幻をうち立ててながめていた。
 かくして静かに室《へや》の中を歩き回っていたが、突然異様なものが目に触れた。
 食器棚の上に斜めに立ててある鏡の中に、次の数行を彼は正面に認めて、明らかにその文字を読んだのである。

[#ここから2字下げ]
いとしき御方、悲しくも父はすぐに出発すると申します。私どもは今晩、オンム・アルメ街七番地に参ります。一週間すればもうロンドンへ行っておりますでしょう。――六月四日、コゼット。
[#ここで字下げ終わり]

 ジャン・ヴァルジャンははっとして立ち止まった。
 コゼットはこの家に着いて、吸い取り紙を食器棚《しょっきだな》の上の鏡の前に置いたまま、煩悶《はんもん》のうちに沈み込んでそれを忘れてしまっていた。前日プリューメ街を通る若い労働者に頼んだあの数行の文句を自らしたためてかわかすために押しあてた、ちょうどその面が開いているのも、そのままにして気づかなかった。文字はすっかり吸い取り紙の上に残っていた。
 鏡はそれを映し出していた。
 その結果、幾何学でいわゆる対称図形をこしらえていて、吸い取り紙の上に逆になった文字は鏡の中にまた順になって、自然の位置に返っていた。ジャン・ヴァルジャンは前日コゼットがマリユスに書いた文字をそのまま眼前に見た。
 それは明白なまた恐ろしいことであった。
 ジャン・ヴァルジャンは鏡の前に進んだ。そして数行の文字を再び読み返したが、現実だとは信じ得なかった。あたかも稲妻の中に現われたもののような気がした。おそらく幻覚であろう。あり得べからざることである。実際に存しないことである。
 けれどもしだいに彼の知覚はますますはっきりしてきた。彼はコゼットの吸い取り紙をながめ、再び現実の感が戻ってきた。彼は吸い取り紙を取り上げて言った。「これからきたんだ。」そして吸い取り紙の上に残ってる数行を、変な形になってる逆の文字を、熱心に調べてみたが、何の意味をも読み取ることはできなかった。その時彼は自ら言った、「これはまったく意味のないことだ、何も書いてあるわけではない。」そして言うべからざる安堵《あんど》の思いに深く息をした。およそだれか、恐るべき瞬間においてかかる愚かな喜悦を感じなかった者があろうか。人の魂は、あらゆる幻を汲みつくした後でなければ、容易に絶望に屈しないものである。
 彼は吸い取り紙を手に持って、他愛もない喜びに浸り、欺かれた幻覚に対して今にも笑い出さんばかりになり、それをじっとうちながめた。ところが突然、彼の目はまた鏡の上に落ちて、そこに再び幻を見た。数行の文字は、ごまかし得ない明確さで再び現われていた。こんどはもはや幻覚ではなかった。幻も二度まで現わるればもはや現実となる。それははっきり知覚し得らるるものであった。鏡の中に映し出された文字だった。彼は了解した。
 ジャン・ヴァルジャンはよろめいて、吸い取り紙を手から落とし、食器棚《しょっきだな》の傍《そば》にある古い肱掛《ひじか》け椅子《いす》に倒れかかり、頭をたれ、目を白くし、昏迷《こんめい》に陥った。彼は自ら言った、これは明瞭なことである、世の光は永久に陰ってしまった、コゼットはそれをだれかに書いたのであると。その時彼は、自分の魂が再び獰猛《どうもう》になって、闇《やみ》の中に鈍いうなり声を発してるのを聞いた。今は直ちに、檻《おり》の中に入れていた自分の犬を獅子《しし》の手から奪い返しに行くべきである!
 奇怪なまた悲しいことではあるが、その時マリユスはまだコゼットの手紙を受け取っていなかった。偶然の機会は、それをマリユスに渡す前に不実にもジャン・ヴァルジャンに渡してしまったのである。
 ジャン・ヴァルジャンはその日に至るまで、いまだかつていかなる試練にも屈したことはなかった。彼は幾多の恐るべき試みに会ってきた。あらゆる不運の道をことごとく通ってきた。凶猛なる運命は、あらゆる追求と社会的迫害とをもって、彼を目ざして襲いかかってきた。しかし彼はいかなるものの前にも退かず撓《たゆ》まなかった。やむを得ざる場合にはいかなる難事をも甘んじて受けた。回復し得た犯すべからざる人権をも犠牲に供し、自由をも捨て、おのれの首をも危険にさらし、すべてを失い、すべての苦しみをなめ、しかも常に打算を排し私念を去り、時としては殉教者にも等しいと思われるくらいにおのれを空《むな》しゅうした。かくて不運のあらゆる襲撃に鍛えられた彼の本心は、永久に難攻不落なるかの観があった。しかるに今、彼の内心をのぞいてみると、それが弱っていることを認めざるを得ないのだった。
 というのも、宿命の長い審問のうちにおいて彼が受けたあらゆる拷問の中で、こんどのものこそ最も恐るべきものだったからである。かつて彼はかかる激しい責め道具に掛かったことはなかった。彼は内心のあらゆる感受性が異様に痙攣《けいれん》するのを感じた。まだ知らない神経がつみ取られるのを感じた。ああ最後の試練は、否むしろ唯一の試練は、愛する者を失うということである。
 あわれなる老いたるジャン・ヴァルジャンは、確かにただ普通の父と同じ愛情でコゼットを愛していた。しかし前に注意しておいたとおり、その父たる愛情のうちには生涯の孤独から来るあらゆる愛情が混じていた。彼はコゼットを、娘として愛し、母として愛し、妹として愛していた。また彼はかつて情婦を持たず妻を持たなかったので、そしてまた自然はいかなる支払い拒絶をも許さない債権者のごときものであるから、あらゆる感情のうちで最も根深いあの感情もまた、彼の他の愛情のうちに交じっていた。しかしそれはただ、漠然《ばくぜん》たるものであり、無知なるものであり、盲目的に純潔なものであり、無意識的なものであり、天国的な天使的な神聖なものであって、感情というよりもむしろ本能であり、本能というよりもむしろ、感じ難い見え難いしかも現実なる一つの牽引《けんいん》の情にすぎなかった。いわゆる恋情というものは、コゼットに対する彼の広大な愛情のうちにあっては、あたかも人跡を絶した暗黒な山岳のうちにある一筋の黄金脈のごときものであった。
 上に指摘してきた心の状態を読者は記憶していていただきたい。ふたりの間には、いかなる結婚も、たとい魂の結婚も、あり得なかったのである。けれども、彼らの宿命が結合し合っていたことは確かである。コゼットがいなかったならば、言い換えればひとりの少女がいなかったならば、ジャン・ヴァルジャンはその長い生涯の間、愛の目的となり得るものを何も知らなかったであろう。相次いで起こり来る情欲と恋情とは、冬を経た木の葉や五十歳を過ぎた人によく見らるるとおり、黒ずんだ緑の上に柔らかな緑を生じさせるものであるが、彼のうちにはそういう現象を少しも起こさせなかった。要するに、繰り返して力説するが、その内心のすべての融和は、集まって高き徳となったその全部は、結局ジャン・ヴァルジャンをしてコゼットの父たらしめたのである。ただそれはジャン・ヴァルジャンのうちにある祖父たり息子たり兄弟たり夫たる諸性質から鋳上げられた不思議な父であって、その中には母の性も交じっており、コゼットを愛するとともに欽慕《きんぼ》し、その少女をもって、いっさいの光明とし、住居とし、家庭とし、祖国とし、天国としていたのである。
 かくて今、すべてがまさしく終わったのを見、彼女が自分の手から離れ脱し逃げ出したのを見、万事は雲のごとく水のごときものであったのを見た時、そして眼前に、「彼女の心は他の男に向いている、彼女の生涯の希望は他の男にある、他に恋人があって自分はただ父に過ぎない、自分はもはや存在しない、」という痛ましい証拠を見た時、そして今はもはや疑う余地もなくなった時、そして、「彼女は自分の外に逃げ出している、」と自ら言った時、彼が感じた悲しみはほとんどたえ難いものであった。今まであらゆることを忍んできたのは、ただこういう結果に達せんがためだったのか、ただ無に終わらんがためだったのか! その時、前に言ったとおり、彼の全身は反抗の念に震え上がった。彼は毛根の中にまで自我心が激しく目ざめ来るのを感じた。彼の内部の深淵《しんえん》のうちに自我は咆哮《ほうこう》の声を揚げた。
 内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走《かいそう》させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足をふみしめ得る者は、世にあまりない。苦悶《くもん》の限度を越える時には、最も確固たる徳操も乱されるものである。ジャン・ヴァルジャンは再び吸い取り紙を取り上げて、また新たにはっきりと事実を見た。彼は身をかがめ石のようになって、その厳乎《げんこ》たる数行の文字にじっと目を据えた。そして内心のすべてが崩壊してるかと思われるような暗雲が、彼のうちに起こってきた。
 彼はその啓示を、自分の夢想でいっそう拡大しながら、外観上はいかにも恐ろしく落ち着き払って、よく調べてみた。人の落ち着きも立像のような冷酷さに達する時には、恐怖すべきありさまを呈する。
 彼は自分の気づかぬうちに宿命が恐るべき歩みをなしたことを考えてみた。愚かにもすぐに打ち消してしまった前年の夏の心痛を思い起こした。そして再び深淵《しんえん》を見いだした。万事は少しも変わっていなかった。ただジャン・ヴァルジャンは、今はその縁に立ってるのではなく、その底に陥ってるのであった。
 痛切な驚くべきことには、彼は自ら気づかないでそこに陥っていたのである。自分では常に太陽を見ていると思いながら、生のあらゆる光明は既に消えうせていたのである。
 彼の直覚は狐疑《こぎ》しなかった。前後の事情、二、三の時日、コゼットが時おり顔を赤らめたり青くなったりしたこと、それらを彼はつなぎ合わして自ら言った、「あの男だ。」絶望の推定力は、決して的をはずさぬ魔法の弓にも等しい。彼は最初の推察よりして、既にマリユスを射とめていた。その名前は知らなかったが、その男を直ちに見いだした。彼は自分の動かし難い記憶の奥に、リュクサンブールのあの見知らぬ徘徊者《はいかいしゃ》を、恋を漁《あさ》るあのみじめなる男を、あの小説的な怠惰者、愚物、卑劣漢を、はっきりと認めた。愛情深い父親を傍《そば》に伴ってる娘のもとにきて秋波を送るということは、一つの卑劣なる行ないではないか。
 再生したる彼、自分の魂のためあれほど多くの努力をなした彼、ジャン・ヴァルジャンは、事件の底にあの青年が潜んでいることを十分に見て取った後に、自分の内部をのぞいてみて、そこに一つの妖怪すなわち憎悪《ぞうお》を認めた。
 大なる悲しみのうちには重圧がある。それは人を生存に対して落胆させる。かかる悲しみに入り込まれた人は、何かが自分から抜け落ちるのを感ずる。それは、青春のおりにあっては
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