ってしまったんだ。それをどうしたのかもうわからないんだ。こんなことになるべきもんじゃあねえや。こんなふうに大人《おとな》を見失うなあばかげてる。だがまあのみこんじまうさ。」
 彼はその上彼らに何も尋ねなかった。宿がない、そんなことはあたりまえのことである。
 ふたりの中の年上の方は、子供の常としてすぐにほとんど平気になって、こんなことを言い出した。
「でも変ですよ。お母さんは、枝の日曜日([#ここから割り注]復活祭前の日曜[#ここで割り注終わり])には黄楊《つげ》の枝をもらいに連れてってくれると言っていたんだもの。」
「ふーむ。」とガヴローシュは答えた。
「お母さんはね、」と年上のは言った、「ミス嬢といっしょに住んでるんですよ。」
「へえー。」とガヴローシュは言った。
 そのうちに彼は立ち止まって、しばらくそのぼろ着物のすみずみを隈《くま》なく手を当ててさがし回った。
 ついに彼はただ満足して頭を上げたが、しかし実は昂然《こうぜん》たる様子になった。
「安心しろよ。三人分の食事ができた。」
 そして彼は一つのポケットから一スー銅貸を引き出した。
 ふたりが驚いて口を開く間もなく、彼はふたりをすぐ前のパン屋の店に押し込み、帳場に銅貨を置きながら叫んだ。
「おい、パンを一スー。」
 主人と小僧とを兼ねてるそのパン屋は、パンの切れとナイフとを取り上げた。
「三片《みきれ》にしてくれ。」とガヴローシュは言った。そしてしかつめらしくつけ加えた。
「三人だからな。」
 そしてパン屋が三人の客の様子をうかがって黒パンを取り上げたのを見て、彼は鼻の穴に深く指をつっ込み、あたかも拇指《おやゆび》の先に一摘まみのフレデリック大王の嗅煙草《かぎたばこ》でも持ってるようにおごそかに息を吸い込んで、それからパン屋にまっ正面から次の激語を浴びせかけた。
「そりゃんだ?」
 読者はガヴローシュがパン屋に浴びせかけたその一語を、ロシアかポーランドあたりの言葉だろうと思ったり、あるいは曠野《こうや》のうちに大河の一方から他方へ呼びかわすアメリカ土人の粗野な叫びだろうと思うかもしれないが、実は読者自身が日常使ってる言葉で、「それはなんだ?」という句の代わりになるものだった。パン屋はそれをよく理解して答えた。
「なにこれはパンで、中等のうちで一番いい品だよ。」
「すすけたやつとでも言うんだろう。」とガヴローシュは落ち着いて冷然と言った。「白いパンがいるんだ。洗い立てのようなやつだ。俺《おれ》がごちそうするんだからな。」
 パン屋は思わず微笑して、それから白パンを切りながら、三人をあわれむようにながめた。ガヴローシュはそれがしゃくにさわった。
「おい丁稚《でっち》、」と彼は言った、「なんだってそうじろじろ見てるんだ。」
 だが三人をつぎ合わしても、やっと一尋《ひとひろ》くらいなものだったろう。
 パンが切られると、パン屋は一スー銅貨を引き出しに投げ込み、ガヴローシュはふたりの子供に言った。
「やれよ。」
 子供はぼんやりして彼をながめた。
 ガヴローシュは笑い出した。
「あはあ、なるほど、まだわからないんだな。小《ちっ》ちゃいからな。」
 そして彼は言い直した。
「食えよ。」
 同時に彼は、ふたりにパンを一切れずつ差し出した。
 そして、年上の方はいくらか話せるやつらしいので、少し勇気をつけてやって、遠慮なく腹を満たすようにしてやるがいいと彼は思って、一番大きな切れを与えながら言い添えた。
「これをつめ込むがいい。」
 一切れは一番小さかったので、彼はそれを自分のにした。
 あわれな子供らは、ガヴローシュもいっしょにして、非常に腹がすいていた。で三人はその店先に並んで、パンをがつがつかじり出した。パン屋はもう金をもらってしまったので、しかめっ面《つら》をして彼らをながめていた。
「往来に戻っていこう。」とガヴローシュは言った。
 彼らはまたバスティーユの方へ歩き出した。
 時々、明るい店の前を通る時、年下の方は立ち止まって、紐《ひも》で首にかけてる鉛の時計を出して時間を見た。
「なるほどまだ嘴《くちばし》が黄色いんだな。」とガヴローシュは言った。
 それからふと考え込んで、口の中でつぶやいた。
「だが、俺にもし子供《がき》でもあったら、もっと大事にするかも知れねえ。」
 彼らがパンの切れを食い終わって、向こうにフォルス監獄の低いいかめしい潜門《くぐりもん》が見える陰鬱《いんうつ》なバレー街の角《かど》まで達した時、だれかが声をかけた。
「やあ、ガヴローシュか。」
「やあ、モンパルナスか。」とガヴローシュは言った。
 浮浪少年に言葉をかけた男は、モンパルナスが変装してるのにほかならなかった。青眼鏡《あおめがね》をかけて姿を変えてはいたが、ガヴローシュにはすぐにわかった。
「畜生、」とガヴローシュは言い続けた、「唐辛《とうがらし》の膏薬《こうやく》みたいなものを着て青眼鏡をかけてるところは、ちょっとお医者様だ。なるほどいいスタイルだ。」
「シッ、」とモンパルナスは言った、「高い声をするな。」
 そして彼は、すぐに店並みの光が届かない所にガヴローシュを連れ込んだ。
 ふたりの子供は手をつなぎ合って機械的にそのあとについていった。
 彼らがある大きな門の人目と雨とを避けた暗い迫持《せりもち》の下にはいった時、モンパルナスは尋ねた。
「俺が今どこへ行くのか知ってるか。」
「お陀仏堂《だぶつどう》([#ここから割り注]絞首台[#ここで割り注終わり])へでも行くんだろう。」とガヴローシュは言った。
「ばか言うな。」
 そしてモンパルナスは言った。
「バベに会いに行くんだ。」
「ああ、」とガヴローシュは言った、「女の名はバベって言うのか。」
 モンパルナスは声を低めた。
「女じゃねえ、男だ。」
「うむ、バベか。」
「そうだ、あのバベだ。」
「あいつは上げられてると思ったが。」
「うまくはずしたんだ。」とモンパルナスは答えた。
 そして彼はこの浮浪少年に、バベはちょうどその日の朝、付属監獄へ護送されて、「審理場の廊下」で右に行く所を左に行ってうまく脱走したことを、かいつまんで話した。
 ガヴローシュはその巧みなやり口に感心した。
「上手なやつだな!」と彼は言った。
 モンパルナスはバベの脱走について二、三の詳しいことをなお言い添えて、最後に言った。
「ところがまだそればかりじゃあねえんだ。」
 ガヴローシュは話を聞きながら、モンパルナスが手に持ってたステッキを取り、そして何とはなしにその上の方を引っ張ってみた。すると刀身が現われた。
「ああ、」と彼はすぐに刀身を納めながら言った、「豪《えら》いやつを隠してるな。」
 モンパルナスは目をまたたいてみせた。
「なるほど、」とガヴローシュは言った、「いぬ[#「いぬ」に傍点]をやっつけるつもりだね。」
「そんなことあわかるもんか。」とモンパルナスは事もなげに答えた。「とにかく一つ持ってる方がいいからな。」
 ガヴローシュはしつこく言った。
「今晩いったい何をするつもりなんだい?」
 モンパルナスはまたまじめな問題に立ち返って、一語一語のみ込むように言った。
「いろんなことだ。」
 そして彼はにわかに話題を変えた。
「時にね。」
「何だ?」
「この間妙なことがあったよ。まあ俺《おれ》がある市民に会ったと思うがいい。するとその男が俺にお説教と財布とをくれた。俺はそれをポケットに入れた。ところがすぐあとでポケットを探ると、もう何にもねえんだ。」
「お説教だけ残ったんだな。」とガヴローシュは言った。
「だがお前は、」とモンパルナスは言った、「これからどこへ行くんだ。」
 ガヴローシュは引き連れたふたりの子供をさして言った。
「この子供どもを寝かしに行くんだ。」
「どこだ、寝かすのは。」
「俺の家《うち》だ。」
「お前の家って、どこだ。」
「俺の家だ。」
「では家があるのか。」
「うむ、ある。」
「そしてそりゃあどこだ。」
「象の中だ。」とガヴローシュは言った。
 モンパルナスは生来あまり驚かない方ではあったが、声を上げざるを得なかった。
「象の中!」
「そうだ、象の中だ。」とガヴローシュは言った。「せがどった?」
 この終わりの一語もまた、だれもそう書きはしないが、だれでも話してる言葉である。「せがどった」というのは、「それがどうした?」という意味である。
 浮浪少年のその深い見解は、ついにモンパルナスを落ち着けまじめになした。彼はガヴローシュの住居に賛成しだしたようだった。
「なるほど、」と彼は言った、「あの象か。中はどんな気持ちだ?」
「いいね、」とガヴローシュは言った、「まったくすてきだ。橋の下のように風はこないしね。」
「どうしてはいるんだ。」
「そりゃあはいれるさ。」
「穴でもあるのか。」とモンパルナスは尋ねた。
「うむ。だが人に言っちゃあいけねえよ。前足の間にあるんだ。いぬ[#「いぬ」に傍点]どもも気がついていないんだ。」
「でお前はそこから上ってゆくのか。なるほどな。」
「かさこそっとやればもう大丈夫、だれの目にもつかねえ。」
 そしてちょっと言葉を切って、ガヴローシュはまた言い添えた。
「この子供には、梯子《はしご》をかけてやろう。」
 モンパルナスは笑い出した。
「いったいどこからその餓鬼どもを拾ってきたんだ。」
 ガヴローシュは事もなげに答えた。
「理髪屋が俺《おれ》にくれたんだ。」
 そのうちにモンパルナスは考え込んだ。
「お前にはすぐに俺がわかったんだな。」と彼はつぶやいた。
 彼はポケットから何か二つの小さな物を取り出したが、それは綿にくるんだ二つの羽軸に外ならなかった。彼はそれを両方の鼻の穴に差し込んだ。すると鼻の形がまったく異なってしまった。
「すっかり変わったよ、」とガヴローシュは言った、「その方が男っぷりがいいや、いつもそうしてる方がいいね。」
 モンパルナスは好男子であったが、ガヴローシュはひやかしたのだった。
「冗談はぬきにして、」とモンパルナスは尋ねた、「これでどうだろう。」
 彼は声まで変わっていた。一瞬間のうちにモンパルナスは別人になってしまった。
「まったくポリシネル([#ここから割り注]道化者[#ここで割り注終わり])だ。」とガヴローシュは叫んだ。
 ふたりの子供はそれまで彼らの言葉に耳も傾けないで、指先で鼻の穴をほじくっていたが、ポリシネルという言葉を聞いて近寄ってき、始めておもしろがり感心しだしてモンパルナスをながめた。
 ただ不幸にもモンパルナスは安心していなかった。
 彼はガヴローシュの肩に手を置き、一語一語力を入れて言った。
「いいかね。俺がもし番犬と短剣と一件とを組んで広場んでもいるんなら、そしてお前が十スーばかんふんばってでもくれるんなら、少し手を貸さんもんでもねえんだがね、今はぼんやりふんぞってもおれんからな。」
 その変な言葉を聞いて、浮浪少年は妙な態度をとった。彼は急いでふり返り、深く注意をこめてその小さな輝いた目であたりを見回し、そして数歩向こうに、こちらに背を向けて立ってるひとりの巡査を見つけた。ガヴローシュは思わず「なるほど」と言いかけたが、すぐにその言葉をのみ込んでしまって、それからモンパルナスの手を握って打ち振りながら言った。
「じゃ失敬。俺《おれ》は餓鬼どもをつれて象の所へ行こう。もし晩に用でもあったら、あすこへこいよ。中二階に住んでるから。門番もいやしねえ。ガヴローシュ君と尋ねて来りゃあすぐわかるよ。」
「よし。」とモンパルナスは言った。
 そして彼らは別れて、モンパルナスはグレーヴの方へ、ガヴローシュはバスティーユの方へ向かった。五歳の子供は兄に連れられ、兄はガヴローシュに連れられて、何度もふり返っては、「ポリシネル」が立ち去るのをながめた。
 巡査がいることをモンパルナスがガヴローシュに伝えた変な言葉には、種々の形の下に十何回となくくり返されたん[#「ん」に傍点]という音の合い図を含んでいるのだった。この別々に発音されないで巧みに文句のうちに交じえ
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