いた。その問いを繰り返すと、彼はただ笑顔で答えた。かつてしつこく尋ねたこともあったが、その時彼の微笑は涙に変わってしまった。
ジャン・ヴァルジャンのそういう沈黙は、ファンティーヌを闇《やみ》でおおい隠していた。
それは用心からであったろうか、敬意からであったろうか、あるいはまた自分以外の者の記憶にその名前をゆだねることを恐れたからであったろうか?
コゼットが小さかった間は、ジャン・ヴァルジャンは好んで彼女に母のことを語ってきかした。しかしコゼットが相当な娘になると、彼にはそれができなくなった。彼にはもうどうしても語り得ないような気がした。それはコゼットのためにであったろうか、あるいはファンティーヌのためにであったろうか? その影をコゼットの考えのうちに投ずることに、また第三者たる死人をふたりの運命のうちに入れることに、彼は一種の敬虔《けいけん》な恐れを感じていた。その影が彼にとって神聖であればあるほど、ますますそれは恐るべきもののように彼には思えた。ファンティーヌのことを考えると、沈黙を強いらるるような気がした。脣《くちびる》にあてた指に似てるあるものを、彼はおぼろげに闇の中に認めた。ファンティーヌのうちにあったがしかも生前彼女のうちから残酷に追い出された貞節は、死後彼女の上に戻ってき、憤然として死せる彼女の平和をまもり、厳として墓中に彼女を見張っていたのではあるまいか。ジャン・ヴァルジャンは自ら知らずして、その圧迫を受けていたのではあるまいか。死を信頼するわれわれは、この神秘的な説明を排斥し得ないのである。かくてファンティーヌという名前は、コゼットに向かってさえ口に出せなくなる。
ある日コゼットは彼に言った。
「お父様、私は昨夜《ゆうべ》夢の中でお母様に会いました。大きな二つの翼を持っていらしたの。お母様は生きていらした時からきっと、聖者になっていらしたのね。」
「道のために苦しまれたから。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
その他では、ジャン・ヴァルジャンは幸福であった。
コゼットは彼とともに外に出かける時、いつも彼の腕によりかかって、矜《ほこ》らかに楽しく心満ち足っていた。かく彼一人に満足してる排他的な愛情の現われを見ては、彼も自分の考えが恍惚《こうこつ》たる喜びのうちにとけてゆくのを感じた。あわれなるこの一老人は、天使のごとき喜悦の情に満ちあふれて身を震わし、これは生涯続くであろうと我を忘れて自ら断言し、かかる麗わしい幸福に価するほど自分はまだ十分に苦しまなかったと自ら言い、そして心の底で、みじめなる自分がこの潔白なる者からかくも愛せらるるのを許したもうたことを、神に向かって感謝した。
五 薔薇《ばら》は自ら武器たることを知る
ある日、コゼットはふと自分の顔を鏡の中に映して見て、自ら言った、「まあ!」どうやら自分がきれいらしく思えたのであった。それは彼女を妙な不安のうちにおとしいれた。その時まで彼女は、自分の顔のことはかつて思っても見なかった。鏡をのぞいたことはあるが、よく自分の顔を見もしなかった。またしばしば、人から醜いと言われていた。ひとりジャン・ヴァルジャンだけは、「いや、どうして!」と静かに言っていた。それでもとにかく、コゼットは自分を醜いものと常に信じ、子供心のたやすいあきらめをもってそういう考えのうちに成長した。しかるに今突然、鏡はジャン・ヴァルジャンと同じく彼女に言った、「いや、どうして!」彼女はその晩眠れなかった。彼女は考えた、「もし私がきれいだったらどうだろう。私がきれいだなんてほんとにおかしなことだが!」そして、きれいなので修道院での評判となっていた仲間のだれ彼の事を思い出して、自ら言った、「まあ、私はあの人のようになるのかしら!」
翌日彼女は、こんどはわざわざ鏡に映して見た、そして疑った。彼女は言った、「昨日私はどうしてあんな考えになったのかしら。いいえ私はぶきりょうだわ。」けれども彼女は眠りが足りないだけだった。目がくぼみ色が青ざめていた。自分のきれいなのを信じても前日はそう喜ばしくなかったが、今はそう信ずることができないのを悲しく思った。それから後はもう鏡を見なかった。そして半月以上もの間、つとめて鏡に背中を向けて髪を結った。
夕方、食事の後には、彼女はたいてい客間で刺繍《ししゅう》をしたり、あるいは修道院で覚えた何かの仕事をしていた。ジャン・ヴァルジャンはそのそばで書物を読むのが常だった。ところがある時、彼女はふと仕事から目をあげると、父が自分をながめてる不安らしい様子に驚かされたことがあった。
またある時、街路を通っていると、姿は見えないがだれかが自分の後ろで言ってるのが聞こえるようだった、「きれいだ、しかし服装《なり》はよくない。」彼女は考えた、「なに私のことではあるまい。私は服装はいいがきれいではない。」その時彼女は、ペルシの帽をかぶりメリノラシャの長衣を着ていた。
またある日、庭に出ていると、老婢のトゥーサンがこう言っているのを耳にした、「旦那様《だんなさま》、お嬢様はきれいにおなりなさいましたね。」コゼットは父が何と答えたか耳にはいらなかった。トゥーサンの言葉は彼女の心に激動を与えた。彼女は庭から逃げ出し、自分の室《へや》に上ってゆき、もう三カ月ものぞかなかった鏡の所へ駆け寄った、そして叫び声を立てた。彼女は眩惑《げんわく》したのである。
彼女は美しくてきれいだった。トゥーサンの意見や鏡の示す所に同意せざるを得なかった。身体は整い、皮膚は白くなり、髪の毛にはつやが出て、これまで知らなかった光が青い瞳《ひとみ》に輝いていた。自分は美しいという確信が、ま昼のように曇る所なくたちまちわいてきた。他人までもそれを認めていた。トゥーサンはそれを口に出して言い、またあの通行人が言ったことも確かに自分についてだった。もはや疑う余地はなかった。彼女は庭におりてゆきながら、自ら女王《クイーン》であるような気がし、小鳥の歌うのを聞き、冬のこととて金色に輝いた空を見、樹木の間に太陽をながめ、叢《くさむら》の中に花をながめ、名状し難い喜びのうちに我を忘れて酔った。
同時にジャン・ヴァルジャンの方では、深い漠然《ばくぜん》たる心痛を感じていた。
実際彼はその頃、コゼットのやさしい顔の上に日増しに輝き出してくる美しさを、狼狽《ろうばい》しながら見守っていたのである。すべてのものに向かって笑《え》みかける曙《あけぼの》は、彼にとっては悲しみの種であった。
コゼットはずっと以前からきれいになっていたが、自らそれに気づいたのはだいぶたってからだった。しかし、徐々に上ってきてしだいに彼女の全身を包んだその意外な光輝は、初めの日から既にジャン・ヴァルジャンの陰気な目を痛めていた。それは、幸福な生活のうちに、何かが乱されはしないかを恐れてあえて少しも動かしたくないと思っていたほど幸福な生活のうちに、ふいに到来した変化であるように彼には感じられた。彼は既にあらゆる艱難《かんなん》のうちを通りぬけてき、今なお運命の痛手から流るる血にまみれており、かつてはほとんど悪人だったのが今はほとんど聖者となっており、徒刑場の鎖を引きずったあとに今は名状すべからざる汚辱の目には見えないがしかし重い鎖を引きずっており、また法律上放免されていない身の上であり、いつでも捕えられて人知れぬ徳行の世界から公然たる恥辱の白日のうちに引き出されんとする身の上であり、また、すべてを甘受し、すべてを許し、すべてを容赦し、すべてを祝福し、すべてのよからんことをねがい、しかも神や人や法律や社会や自然や世間に向かっては、ただ一事をしか求めていなかったのである、すなわちコゼットが自分を愛してくれるようにという一事を。
ただコゼットが自分を愛し続けてくれるように! この子供の心が自分のもとにやってきて長く留まっていることを、神は妨げたまわないように! コゼットから愛されて彼は、自ら癒《いや》され休められ慰められ満たされ報いられ冠を授けられたように感じていた。コゼットから愛されて彼は幸福であった。それ以上を何も求めなかった。「もっと幸福ならんことを望むか」と言う者があっても、「否」と彼は答えたであろう。「汝は天を欲するか」と神に言われても、「今の方がましである」と彼は答えたであろう。
そういう状態を傷つけるものは、たとい表面だけを少し傷つけるものであっても、何か新たなることが始まるかのように彼をおびえさした。彼はかつて婦人の美なるものが何であるかをよくは知らなかったけれども、ただ恐るべきものであることだけは本能によって了解していた。
自分のそばに、目の前に、子供の単純な恐るべき額の上に、ますます崇高に勢いよく開けてくるその美を、彼は自分の醜さと老年と悲惨と刑罰と憂悶《ゆうもん》との底から、狼狽《ろうばい》して見守った。
彼は自ら言った、「彼女《あれ》はいかにも美しい。この私はどうなるであろう。」
けだしそこに、彼の愛情と母親の愛情との差があった。彼が苦悶をもってながめていたところのものも、母親ならば喜びの情をもってながめたであろう。
最初の兆候はやがて現われ始めた。
コゼットが自ら「まさしく私は美しい」と言った日の翌日から、彼女は服装に注意を払い始めた。彼女は通行人の言葉を思い起こした、「きれいだ、しかし服装《なり》はよくない。」それは一陣の風のような神託であって、彼女の傍《かたわら》を過《よ》ぎり、やがて婦人の全生涯を貫くべき二つの芽の一つを彼女の心に残したまま、どこともなく消え去ってしまった。二つの芽の一つというは嬌態《きょうたい》であって、他の一つは恋である。
自分の美を信ずるとともに、女性的魂はすべて彼女のうちに目ざめてきた。彼女はメリノの長衣をいといペルシの帽子を恥ずかしく思った。父は彼女に決して何物をも拒まなかった。彼女はすぐに、帽子や長衣や肩衣や半靴《はんぐつ》や袖口《そでぐち》やまた自分に似合う[#「似合う」は底本では「以合う」]布地や色などに関するあらゆる知識を得た。その知識こそは、パリーの女をしていかにも魅力あらしめ趣深からしめまた危険ならしむるものである。妖婦[#「妖婦」に傍点]という言葉はパリーの女のために作り出されたものである。
一月とたたないうちに小さなコゼットは、バビローヌ街の人気《ひとけ》少ない所において、パリーの最もきれいな女のひとりとなっていたばかりでなく、それも既に何かではあるが、なおその上にパリーの「最もりっぱな服装《なり》をした」女のひとりとなっていた、これは実に大したことである。彼女は「あの通行人」に出会って、彼が何というかを聞いてみたく、また「彼に見せしめてやりたい」とも思ったかも知れない。実際彼女はすべての点において麗わしく、またジェラールの帽子とエルボーの帽子とをもみごとに見分けることができた。
ジャン・ヴァルジャンは心配しながらそれらの変化をながめていた。地をはうことよりほかは、少なくとも足にて歩くことよりほかは、自分にはできないと自ら感じていた彼が、コゼットに翼のはえてくるのを見たのである。
けれども女には、コゼットの服装をちょっと見ただけで、彼女に母のないことがわかったはずである。ある種の些細《ささい》な作法や、ある種の特別な慣例などを、コゼットは少しも守っていなかった。たとえば、母がいたならば、年若い娘は緞子《どんす》の服などを着るものではないと教えてやったに違いない。
始めて黒緞子の長衣と外套《がいとう》とをつけ白|縮紗《クレープ》の帽子をかぶって外に出かける時、コゼットは喜び勇み笑み得意げに嬉々《きき》としてジャン・ヴァルジャンの腕を執った。「お父様、」と彼女は言った、「こんな服装は私にどうでしょう?」ジャン・ヴァルジャンは苦々《にがにが》しいねたましいような声で答えた。「ほんとにいい。」そして散歩してる間彼はいつものとおりだったが、家に帰るとコゼットに尋ねた。
「あのも一つの長衣と帽子とはもうつけないのかい。」
それは
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