たのである。
 復古政府の下において、国民は静穏なる談論に親しむに至った、そしてそれはまさしく共和時代に欠けていたものである。また国民は平和の偉大さに親しむに至った、そしてそれはまさしく帝政時代に欠けていたものである。自由にして強大なるフランスはヨーロッパの各民衆に対しては心強い光景であった。ロベスピエールの下にあっては革命が口をきき、ボナパルトの下にあっては大砲が口をきいていた。しかるにルイ十八世およびシャール十世の下においては知力が口をきく順番となった。もはや風はやんで、炬火《たいまつ》は再びともされた。清朗なる高峰の上には純なる精神の光明がひらめくのが見られた。それこそ壮大なる有益なるかつ魅力ある光景であった。十五年の間、平和のうちに、戸外の巷《ちまた》に、偉大なる主義が働くのが見られた。それらの主義は、思想家にとってはいかにも陳腐であったが、為政家にとってはいかにも斬新《ざんしん》であった。すなわち、法律の前における平等、信仰の自由、言論の自由、印刷出版の自由、人材に対して職業の開放。そういう状態は一八三〇年まで続いた。ブールボン家は文明の一道具であって、ついに神の手のうちに握
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