C戦に等しい損害をきたすか否かを問いたくない。第一何ゆえに戦争などを持ち出すのか。ここに戦役の問題が起こってくる。暴動が国難であるとすれば戦役は人類に下された天罰ではないか。それにまたあらゆる暴動は皆国難であるか。七月十四日([#ここから割り注]一七八九年[#ここで割り注終わり])一日に一億二千万フランの損害があろうともそれが何であるか。スペインにおけるフィリップ五世の擁立は二十億フランの損害をフランスにかけた。もしこれと同じ損害があろうとも吾人は七月十四日を取りたい。また元来吾人はそれらの計算を排斥したい。それは一見理由らしく見えるけれど実はただ口実にすぎない。ここに一つの暴動が存する時、吾人は暴動そのものを研究したいのである。上に述べた正理論《ドクトリナリスム》的な非難のうちには、ただ結果のみしか問題となっていない。しかし吾人は原因を探求したいのである。
この点を次に明らかにしてみよう。
二 問題の底
世には暴動があり、また反乱がある。それは二つの憤怒であって、一つは不正であり、一つは正しい。正義を基礎とする唯一のものたる民主国においても、時として一部が権力を壟断
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