「た。しかしそこには彼らが越えることをしない一つの距離があった。それははばかるところあってではなくて、それを知らないからであった。マリユスは一つの障壁すなわちコゼットの純潔を感じており、コゼットは一つの支柱すなわちマリユスの誠実を感じていた。最初の脣《くち》づけはまた最後のものであった。その後マリユスは脣《くちびる》を、コゼットの手か襟巻《えりま》きか髪の毛かより以上のものには触れなかった。彼にとっては、コゼットは一つのかおりであってひとりの女ではなかった。彼は彼女を呼吸していた。彼女は何も拒まず、彼は何も求めなかった。コゼットは幸福であり、マリユスは満足であった。互いに魂と魂とで眩惑《げんわく》し合うとでも言い得る歓喜の状態に、ふたりは生きていた。それは二つの処女性が理想のうちにおいてなす得《え》も言えぬ最初の抱擁だった。ユングフラウの頂で相会する二羽の白鳥だった。
恋愛のかかる時期、肉感はすべて心の恍惚《こうこつ》の力の下に屏息《へいそく》している時において、天使のごとき純潔なマリユスは、コゼットの裾《すそ》をようやく踝《くるぶし》のところまでまくることよりも、むしろ売笑婦のもと
前へ
次へ
全722ページ中394ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング