う。
ルイ・フィリップはあまりに家父的な王であった。やがて一王朝たらしめんと静かに孵化《ふか》されつつあったその一家は、あらゆるものを恐れ、静安を乱されることを欲しなかった。そこから過度の臆病《おくびょう》さが生まれたのであって民事的伝統としては七月十四日(一七八九年)を有し軍事的伝統としてはアウステルリッツを有する人民にとっては、それはかえってわずらいとなるものだった。
その上、まず最初に尽すべき公の義務を除いて考うるならば、ルイ・フィリップが自分の家族に対して持っていた深い温情は、家族の方でもまたそれに価するだけのものがあった。その一群の人々はきわめてすぐれた者ばかりだった。徳と才能とが兼ねそなえられていた。ルイ・フィリップの娘のひとりであるマリー・ドルレアンは、あたかもシャール・ドルレアンが一家の名前を詩人のうちに加えさしたと同じように、一家の名前を美術家の中に加えさした。彼女は自分の魂を一つの大理石像に作り上げ、それをジャンヌ・ダルクと名づけた。またルイ・フィリップの息子のうちのふたりは、メッテルニッヒをして次の平民的賛辞を発せさした。「彼らは[#「彼らは」に傍点]、類《た
前へ
次へ
全722ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング