遊びをやった。それこそ、世に出でんとする者と世を去らんとする者とにふさわしい穏やかな楽しみであった。
早朝の散歩は、寂寞《せきばく》を好む者にとっては、夜間の散歩と同じであり、しかも自然の快活を添加したものである。往来には人影もなく、しかも小鳥は歌っている。自身小鳥のようなコゼットは、好んで朝早く目をさました。朝の散歩はいつも前日から計画された。彼が言い出すと彼女が同意した。何か大事件のように手はずを定めて、二人は夜明け前に出かけたが、それがコゼットには楽しみだった。そういう事かわった無邪気なことは青春時代には喜ばしいことである。
読者の知る通りジャン・ヴァルジャンは、人の少ない所、寂しい片すみ、世に知られない場所などに、足を向けるのが癖だった。当時パリーの市門の近くには、市街と交錯した貧しい畑地があって、夏にはやせた麦が伸び、秋には収穫がすんだ後、刈り取られたというよりも皮をはがれたようなありさまをしていた。ジャン・ヴァルジャンは好んでそういう所へ行った。コゼットもそこを少しもいとわなかった。それは彼にとっては寂寞であり、彼女にとっては自由であった。そこで彼女は再び少女に戻り、走
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