_]([#ここから割り注]ぐるぐる街[#ここで割り注終わり])という名前に、それはなおよく言い現わされている。
 サン・ドゥニ街からシャンヴルリー街へはいってゆくと、町幅がしだいに狭くなって長めの漏斗《じょうご》の中へでも進み入るがようだった。そしてごく短いその街路の先端は、市場の方を高い軒並みでさえぎられた一つの通路になっていて、ちょうど行き止まりかと思われたが、それでも右と左とにぬけられる二つの暗い横丁がついていた。それがすなわちモンデトゥール街で、一方はプレーシュール街に通じ、他方はプティート・トリュアンドリー街とシーニュ街との方に通じていた。この一種の行き止まりの奥、右の横丁の角《かど》の所に、街路の岬《みさき》のようにして立っている他より低い一軒の家があった。
 ただ三階建てのその家の中に、三百年以来繁盛してきた有名な居酒屋があって、老テオフィールが次の二句で形容したその場所に、愉快な響きを立てていた。

[#ここから4字下げ]
そこにこそ、縊死《いし》せるあわれなる恋人の
恐ろしき骸骨《がいこつ》は揺《どよ》めき動く。
[#ここで字下げ終わり]

 けれども位置がよかったので、居酒屋は父から子へと代々相伝えていた。
 マテュラン・レニエ([#ここから割り注]訳者注 十七世紀初めの風刺詩人[#ここで割り注終わり])の頃には、この居酒屋はポ[#「ポ」に傍点]・トー[#「トー」に傍点]・ローズ[#「ローズ」に傍点]([#ここから割り注]薔薇の鉢[#ここで割り注終わり])と号していて、判じ物がはやる頃だったから、薔薇《ローズ》色に塗った柱《ポトー》を看板にしていた。十八世紀には、今日|頑固派《がんこは》から軽蔑されてる風流派の大家のひとりたるナトアールという画家が、元レニエが痛飲していた同じテーブルにすわって幾度も酔っ払い、その礼として薔薇色の柱にコラント([#ここから割り注]コリント[#ここで割り注終わり])の葡萄《ぶどう》を一ふさ描いてくれた。亭主は非常に喜んでそれを看板にし、葡萄のふさの下の「コラントの葡萄[#「コラントの葡萄」に傍点][#「コラントの葡萄[#「コラントの葡萄」に傍点]」は底本では「コラン[#「コラン」に傍点]トの葡萄」]」という文字を金文字にさした。それからコラント[#「コラント」に傍点]という名前は起こったのである。かく言葉をつづめることは、飲酒家には普通にありがちのことであって、略文はすなわち文句の千鳥足である。コラントという名前はしだいにポ・トー・ローズという名前をすたらした。最後の主人であるユシュルー親方は、昔からの伝統も知らないで、柱を青く塗りかえてしまった。
 勘定台がある下の広間、球突場《たまつきば》になってる二階の広間、天井をつきぬけてる螺旋形《らせんけい》の木の階段、テーブルの上の葡萄酒、壁についてる煤《すす》、昼間からともされた蝋燭《ろうそく》、そういうのがこの居酒屋のありさまだった。下の広間の揚げ戸から階段がついていて、窖《あなぐら》に通じていた。ユシュルーの家族の住居は三階にあった。階段というよりむしろ梯子《はしご》で上ってゆけるようになっていて、その入り口は二階の広間のうちにある隠し戸だけだった。屋根の下には二つの屋根部屋があって、女中どもの寝室になっていた。また料理場は勘定台のある広間とともに一階を二分していた。
 亭主のユシュルーは、おそらく生まれながらの化学者だったろうが、実際は一個の料理人となった。その居酒屋では、酒が飲めるばかりでなく料理も食べられた。ユシュルーは他で食べられない独特の料理を一つ発明していた。ひき肉をつめた鯉《こい》であって、彼は自分で |Carpes au gras《カルプ・オー・グラ》([#ここから割り注]鯉の肉料理[#ここで割り注終わり])と称していた。脂蝋燭《あぶらろうそく》かまたはルイ十六世時代のランプをともし、卓布の代わりに桐油《とうゆ》を釘《くぎ》でとめたテーブルの上で、人々はそれを食べた。わざわざ遠くからやって来る客もあった。ユシュルーはある日、その「特製品」を通行人にも広告する方がいいと思いついた。で墨壺《すみつぼ》に刷毛《はけ》を浸し、独特の料理と同じく独特の文字を知っていたので、表の壁に次のような注目すべき文句を即座に書き記した。
[#天から4字下げ]CARPES HO GRAS
 ところがある冬、悪戯《いたずら》な暴風雨が、第一字の終わりのSと第三字の初めのGとを消してしまって、次のような文字が残った。
[#天から4字下げ]CARPE HO RAS
 時と風雨との助けによって、ごちそうのつまらぬ広告は意味深い忠告となったのである。([#ここから割り注]訳者注 ラテン語 carpe horas ―各時間を享楽せよ[#ここで割り
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