場の控え室だったのである。国王の兎を一匹盗んでもそこに入れられた。そしてこの地獄の墓穴の中で、彼らは何をなしていたか。人が墓穴の中でなし得ること、すなわち死の苦しみを彼らはしていた、また人が地獄においてなし得ること、すなわち歌を彼らは歌っていた。もはや希望が無くなった所には、ただ歌だけが残るものである。マルタ島の海では、一つの漕刑船《そうけいせん》が近づく時、櫂《かい》の音が聞こえる前にまず歌の声が聞こえた。シャートレの地牢《ちろう》を通ってきたあわれな密猟者スュルヴァンサンはこういった、「私をささえてくれたものは韻律である[#「私をささえてくれたものは韻律である」に傍点]。」詩は無用だ、韻律が何の役に立つか、と人はいう。しかも隠語のほとんどすべての歌が生まれたのは、この窖《あなぐら》の中においてであった。パリーの大シャートレ監獄の地牢から、あのモンゴムリー徒刑場の憂鬱《ゆううつ》な反唱句も生まれたのである、Timaloumisaine, timoulamison と。またそれらの歌の多くは悲痛なものであるが、中には快活なものもあり、やさしいものも一つある。
[#ここから4字下げ]
〔Icicaille est le the'a^tre〕
Du petit dardant.
(ここぞ宮居、)
(小さき弓手の。)
――([#ここから割り注]弓手とは愛の神キューピッドのこと[#ここで割り注終わり])――
[#ここで字下げ終わり]
いかに力をつくしても、人の心に永遠に残るものすなわち愛を、絶滅することはできないものである。
陰惨な行為を事とするこの仲間では、自分たちだけで秘密を厳守している。秘密は彼らだけの共通なものである。それらのみじめなる者らにとっては、秘密は結合の基礎となる一致である。秘密をもらすことは、その隠密な組合の各人から何物かを奪い去ることとなる。告訴するという言葉は、力強い隠語では manger le morceau([#ここから割り注]小片を食う[#ここで割り注終わり])という。あたかもその密告者は各人の本体の一片をむしり取って、その肉片で自分の身を養うかのようである。
平手打ちを受けるとは何であるか。通俗の比喩《ひゆ》は答える、c'est voir trente−six chandelles.([#ここから割り注]それは三十六本の蝋燭を見ることだ。[#ここで割り注終わり])ところが、隠語は横から口を出してこう答える、「chandelle([#ここから割り注]蝋燭[#ここで割り注終わり])ではない、camoufle というのだ。」かくて日常の言語は、平手打ちの同意義語に camouflet(戯れに人の顔に吹きかける濃煙)というのを置いている。そして下部から上部への一種の浸透力によって、また不可測な道をたどる比喩の助けによって、隠語は洞窟《どうくつ》からアカデミーまでのぼってゆく。J'allume ma camoufle.([#ここから割り注]俺は蝋燭をつける[#ここで割り注終わり])といっていた盗賊プーライエは、アカデミー会員のヴォルテールに次のような文句を書かせる。〔Langleviel La Beaumelle me'rite cent camouflets.〕([#ここから割り注]ラングルヴィエル・ラ・ボーメルには百の平手打ちを喰わすべし。[#ここで割り注終わり])
隠語のうちを掘りゆけば、一歩ごとに発見物がある。この不思議な語法を研究し掘り深めてゆくと、ついには正規の社会とのろわれた社会との接触点に達する。
隠語は囚人となった言語である。
人の思考力がいかに底深い所につき落とされているか、そこで宿命の暗澹《あんたん》たる暴虐からいかにむごたらしく引きずられ縛り上げられているか、その深淵《しんえん》の中でいい知れぬ鈎《かぎ》にいかにしかと結び止められているか、それを見ては心おびえるほどである。
ああ、みじめなる者らのあわれなる思想よ!
悲しいかな、この影のうちにある人の魂をだれも救いにこないのであろうか。精神を、救済者を、ペガサス([#ここから割り注]翼馬[#ここで割り注終わり])やヒポグリフ([#ここから割り注]鷲頭怪馬[#ここで割り注終わり])などに乗った広大な騎者を、両翼をひろげて蒼天からおりて来る曙《あけぼの》の色に輝いた戦士を、燦然《さんぜん》たる未来の騎士を、かかる宿命は永遠に待っていなければならないのであろうか。理想の光明の槍《やり》に向かって救いを求むる声も、ただいたずらに響くのみであろうか。ドラゴン(竜)の頭が、泡《あわ》を吐く顎《あご》が、獅子《しし》の爪《つめ》と鷲《わし》の翼と蛇《へび》の尾とでうねり行く怪物が、悪の深淵の深みのうちを恐ろしく渡りくる音を聞き、恐るべき水
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