キ団に編成されたのはようやく一七九四年のことだったのである。さてポンメルシーは各地に転戦し、スピレス、ウォルムス、ノイスタット、ツルクハイム、アルゼー、マイヤンスなどで戦ったが、このマイヤンスの時などは、ウーシャールの後衛たる二百人のうちのひとりだった。彼は十二番目にいて、アンデルナッハの古い胸壁の背後でヘッセ侯の全軍に対抗し、胸壁の頂から斜面まですべて敵砲のために穿《うが》たれるまでは本隊の方に退却しなかった。マルシエンヌおよびモン・パリセルの戦いの時にはクレベルの下に属し、後者の戦いでは腕をビスカイヤン銃弾に貫かれた。次に彼はイタリー国境に向かい、ジューベールとともにテンデの峡路《きょうろ》をふせいだ三十人の擲弾兵《てきだんへい》のひとりだった。その時の武勲により、ジューベールは高級副官となり、ポンメルシーは少尉となった。ロディーの戦いでは、霰弾《さんだん》の雨注する中にベルティエのそばに立っていた。「ベルティエは砲手であり騎兵であり擲弾兵であった[#「ベルティエは砲手であり騎兵であり擲弾兵であった」に傍点]」とボナパルトをして言わしめたのは、その戦いである。またノヴィーにおいては
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