カ貞の女で、名前をヴォーボアと言い、全然|愚蒙《ぐもう》な婆さんであって、ジルノルマン嬢はそのそばで一つの俊敏《しゅんびん》な鷲《わし》たるの愉快を感じていた。アグニュス・デイやアヴェ・マリア([#ここから割り注]訳者注 神の羊のものにて人はあるなり云々――めでたしマリアよ恵まるるものよ云々――という祈祷[#ここで割り注終わり])のほかにヴォーボア嬢は、種々な菓子を作る方法を心得てるきりで、他に何らの教養もそなえていなかった。一点の知力の汚点《しみ》もない愚昧《ぐまい》の完全な白紙であった。
なお付記すべきことは、ジルノルマン嬢は老年になるにつれて悪くなるというよりもむしろよくなっていった。それは消極的な性質の者には通例のことである。彼女はかつて意地悪だったことはなかった。意地悪でないというのは一つの相対的な善良さである。それからまた、年ごとに圭角《けいかく》がとれてきて、時とともに穏和になってきた。彼女のうちには言い知れぬ哀愁がこめていて、自分でもその理由を知らなかった。彼女の様子のうちには、まだ初まらないうちに既に終わった一生涯がもつところの茫然《ぼうぜん》自失さがあった。
彼
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